爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.57 「とことん
大瀧詠一特集」

いい音爆音アワー vol.57 「とことん大瀧詠一特集」

2015年8月12日(水)@風知空知

2014年12月30日に66歳で亡くなった大瀧詠一さん、結局、1984年の『EACH TIME』以降30年間、まとまった新作を出すことは遂になく、最後に聞いた消息は、「日本映画をすべて観て、DB化する作業をしている、しかしそれを発表する予定は全くない」というものでした(笑)。

優れた歌手であり、稀代のメロディ・メーカーでもありましたが、過去の欧米ポップスのメロディの一部をほぼ拝借することもあるその作り方にとやかく言う人もいます。しかし、「知らないで」似てしまうことこそが、彼にとってはもっとも忌むべきことでした。過去のポップス遺産を徹底的に研究しつくした上で、自分のオリジナリティをプラスしてより進化した音楽を作る、つまり、よいメロディを借りて、それをよりよくするのは遺産に対する正しい姿勢だと確信していたのです。

『A LONG VACATION』と『EACH TIME』で彼は、それまで目指してきたことはやり切ったのでしょう。以降30年間、音楽の分野では新たにやりたいことが出てこなかった。もし、もう10年生きていたら出てきたかもしれませんし、それをぜひ聴いてみたいとは思いますが。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
はっぴいえんど「12月の雨の日」

「バッファロー・スプリングフィールドの音楽に日本語詞を乗せる」というコンセプトに大瀧さんがまず応えたのがこの曲。

シングル(1971年4月1日)

1st アルバム『はっぴいえんど』(1970年8月5日発売)

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一

アルバムはURC。シングル新たに録りなおしてキング・レコード。
【大瀧詠一History(1)】

●本名:大瀧榮一 1948年7月28日 - 2013年12月30日

大滝詠一は歌手名。

岩手県江刺郡梁川村(後の江刺市、現:奥州市江刺区)生まれ。母子家庭で育つ。母親は教師。

小学5年の夏、親戚の家で聴いたコニー・フランシスの「Lipstick On Your Collar(カラーに口紅)」に衝撃を受け、アメリカンポップスに傾倒。

1968年、早稲田大学第二文学部に入学。

中田佳彦(中田喜直の甥)を紹介され意気投合。中田は立教大学の社会学部で細野晴臣と同じクラス、2人でサイモン&ガーファンクルみたいなのをやっていた。

”エイプリル・フール”解散後の細野と「バッファロー・スプリングフィールドが実によい」ということで意気投合、「一緒にやんないか」ということになった(当初小坂忠が予定されていたが、彼がロック・ミュージカル「ヘアー」のオーディションに合格してしまったため、大瀧に回ってきた)。「バッファロー・スプリングフィールドの音楽に日本語詞を乗せる」というコンセプトで”ヴァレンタイン・ブルー”を結成。林立夫も候補にあったが、詞が書けるので松本になる。

松本宅で「12月の雨の日」を聴かせたら、いきなりイントロのあのフレーズを弾いたので、ギターは鈴木茂にした。

1969年冬、URCレコードのディレクターだった小倉エージがやってきてレコードを作らないかって話になった。

1970年4月、アオイ・スタジオで『はっぴいえんど』ファースト・アルバムを録音。
大滝詠一「あつさのせい」

24歳にしてこの完成度!「あっつさのせいイェイイェイイェイ!」は画期的なフレーズでした。

1st ソロ・アルバム『大瀧詠一』(1972年11月25日発売)収録

作詞・作曲:大瀧詠一

Dr.: 林立夫 B: 細野晴臣 G: 鈴木茂 P: 松任谷正隆 BV: シンガーズ・スリー

当時”小坂忠とフォージョーハーフ”のメンバーだった林立夫がいっしょにやりたいと言ってくれ、鈴木茂と林、大瀧の3人で御苑スタジオでプリプロを行う。コード進行を簡単に決めただけで行ったセッションが凄かったので、メロディはその林のドラムに合わせて作った。ドラムフレーズが「あつさのせい」と言ってます。
【大瀧詠一History(2)】

1971年、はっぴいえんど2nd アルバム『風街ろまん』のレコーディング開始。

「『風街ろまん』をやってた時に三浦光紀が「大瀧くんのソロをやらないか」って言ってきてね。リーダーの細野に聞いたら「話があるうちにやっといたほうがいい」って言ったからやることにしたんだよね。」(by 大瀧さん)
1971年11月10日、『風街ろまん』リリース(URC)

1971年12月10日、ソロ1st シングル「恋の汽車ポッポ」リリース。

1972年10月、はっぴいえんど3rd al『HAPPY END』、ロス録音。

1972年に三浦光紀氏がベルウッド・レコードをキング傘下に設立。

1972年11月25日、ソロ1st アルバム『大瀧詠一』リリース(オリコン75位)

1973年2月25日、はっぴいえんど3rd アルバム『HAPPY END』リリース(ベルウッド)(オリコン49位)
はっぴいえんど「田舎道」

ヨーデルまで自然に取り入れる発想の柔軟さ。

3rd アルバム『HAPPY END』(1973年2月25日発売)

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/Piano: Bill Payne

ハリウッドの「Sunset Sound Recorders」でレコーディング。バッファロー・スプリングフィールドの『Again』のレコーディングもここで行われた。

この時、Little Featのメンバーと知り合ったことが鈴木茂の『BAND WAGON』(1975年)にもつながる。
【大瀧詠一History(3)】

1973年8月、“シュガーベイブ”と知り合う。

1973年9月21日、文京公会堂で「はっぴいえんどラスト・ライブ CITY -Last Time Around」開催。

1974年12月、プライベートレーベル「ナイアガラ・エンタープライズ」を設立し、翌年エレックレコードと契約。

「エレックで出すのは本当にイヤだったが、東芝、ソニー、コロムビア、3社に掛け合ったが、CMのレコードは出せないと言われ、エレックだけが名乗りを上げてくれた。」

ところがエレックは1976年6月に倒産。
かまやつひろし「お先にどうぞ」

大瀧さんが人に提供した作品第1号。かまやつさんはほんとに先見の明がある人です。ヒット力はあんまりないんだけど(^^)。

アルバム『あゝ、我が良き友よ』(1975年1月10日発売)

作詞・作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内

【大瀧詠一History(4)】

1975年3月、鈴木茂『BAND WAGON』リリース(オリコン36位)

1975年4月25日、NIAGARAレーベル第1弾、シュガー・ベイブ『SONGS』リリース(チャートインせず)

1975年5月30日、2nd al『NIAGARA MOON』リリース(オリコン93位)
大滝詠一「Cider '73 '74 '75」

CMソングというものが大瀧さんによって変わりました。商品名連呼が普通だった世界に、ファンタジーを持ち込んだのです。

2nd アルバム『NIAGARA MOON』(1975年5月30日発売)

作詞:伊藤アキラ/作曲・編曲:大瀧詠一

1973年1月末に、CM制作会社「ONアソシエイツ」(大森昭男氏)から「三ツ矢サイダー」のCMソングの依頼が来た。

「サイダー ‘73」は「ナイアガラ」のスタート

「サイダー ’74」は、細野、林、松任谷正隆、鈴木茂、シンガーズ・スリー、シュガーベイブが参加。「これでナイアガラ・サウンドはもう完成」

「サイダー ’75」は伊勢丹のCMでボツになった「どんな顔するかな」のオケをテンポ落として再利用。
大滝詠一「楽しい夜更し」

ERNIE K-Doeの「Mother In Law」を大胆に引用。Neil Sedaka「Sweet Little You」も。

アルバム『NIAGARA MOON』(1975年5月30日発売)収録

作詞・作曲・編曲:大瀧詠一 dr.:上原裕 b:細野晴臣 g:伊藤銀次 p:佐藤博

【大瀧詠一History(5)】

1975年10月、沢田研二「あの娘にご用心」プロデュース。

1976年、ナイアガラ・レーベル、日本コロムビアに移籍。「FUSSA 45 STUDIO」に当時最新鋭の16チャンネルのマルチトラックレコーダーを提供してもらう代わりに、3年でアルバム12枚を制作するという内容。

1976年3月25日、『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』リリース(オリコン29位)
吉田美奈子「夢で逢えたら」

本来はアン・ルイスを想定して作った曲。確かに想像できるな。

シングル(1978年)

4th アルバム『FLAPPER』(1976年3月25日発売)収録

作詞・作曲:大瀧詠一/ストリングス&コーラス・アレンジ:山下達郎

沢田研二つながりで渡辺プロからアン・ルイスの曲を頼まれ、作ったのがこれ。吉田美奈子の担当ディレクターがどこから聞きつけたのか、「アン・ルイス用の曲というのを聴きたい」と言うので聴かせたところ、「是非美奈子の次作アルバムに」と懇願され、ちょうどアン・ルイスは歌謡ロック路線に舵を切ることになったので、そうなった。ただし美奈子本人はその時ポップスタイプの曲は必要ないと考えていたようだ。
【大瀧詠一History(6)】

1976年6月9日、ラジオ関東(現ラジオ日本)で大瀧DJ番組「ゴー・ゴー・ナイアガラ」放送開始(→1978年9月25日) その後TBSで、1983年3月29日・第270回まで断続的に続く。

1976年10月25日、『GO! GO! NIAGARA』リリース(オリコン41位)

1977年3月25日、『NIAGARA CM SPECIAL Vol.1』リリース(オリコン31位 NIAGARA最後のチャートイン)

1977年12月25日、『NIAGARA CALENDAR』リリース

1978年11月25日、NIAGARA FALLIN' STARS『LET'S ONDO AGAIN』リリース(500枚しか売れなかった!)これを最後に、NIAGARAレーベル、コロムビアとの契約終了、休業状態に。
Niagara Fallin’ Stars「河原の石川五右衛門」

権利問題でアルバムに収録できず、歌詞だけ載せたという。「フランク三浦」もOKな今ならだいじょうぶ?いや、そうでもないのが日本……。

アルバム『LET'S ONDO AGAIN』(1978年11月25日発売)収録

作詞:大瀧詠一/作曲:都倉俊一/唄:オシャマンベ・キャッツ(伊集加代子グループ=シンガーズ・スリー)

ピンク・レディ「渚のシンドバッド」他のパロディ。アルバム発売当初は収録できず、歌詞のみ記載された。1981年4月1日発売の『NIAGARA FALL STARS』で初お目見え。1996年3月21日『LET'S ONDO AGAIN』再発で無事曲順通り収録された。
須藤薫「あなただけ I Love You」

この曲のレコーディングで、『A LONG VACATION』の音像が見えてきたという。名盤を生む布石となった重要曲。

シングル(1981年11月21日発売)

1st アルバム『Chef's Special』(1980年6月21日発売)収録

作詞・作曲:大瀧詠一/ストリングス・アレンジ:松任谷正隆

ニュー・ホリデー・ガールズ”というグループに作詞:山川啓介で作ったが不採用となった曲。このデモを聴いた須藤薫のディレクター川端氏が是非にということで彼女用に手直し。

『A LONG VACATION』レコーディングの数日前に録音した。

この後、もう1曲ということで依頼され渡したが、男性っぽいという川端氏の意見で返された。それがなんと「君は天然色」。
【大瀧詠一History(7)】

1980年 CBSソニーに移籍

1980年4月18日午後6時(別のところには13日) 『A LONG VACATION』のレコーディング開始。

六本木CBSソニー・スタジオのAスタ。「君は天然色」から。
太田裕美「さらばシベリア鉄道」

太田バージョンと大瀧バージョンでサビのメロディが少し違うという繊細なこだわりも大瀧さんらしい。

19th シングル(1980年11月21日発売)

13th アルバム『十二月の旅人』(1980年12月12日発売)収録

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:萩田光雄/間奏ギター:鈴木茂

オリコン70位だが、大瀧作曲作品で初の100位以内ランクとなった。

この曲のボーカル・ダビングをやっていた1980年秋、女性と男性の掛け合いになっている歌詞の出だしの女性言葉が気になりだし、歌えなくなる。この曲は女性が唄うべきではないかと思い、同じ松本隆の詞(それまで全く気づいていなかったが)「木綿のハンカチーフ」の歌い手であり、CBSソニーの担当ディレクターが同じ白川隆三氏である太田裕美にプレゼン。翌日にはレコーディング・スケジュールが立てられた。本人バージョンとは歌い回しが違うが、女性用に変えて唄ったデモ・テープを渡した。

「サビの歌い回しで、裕美バージョンは、いつかは心が伝わるような明るい感じが、逆に大滝バージョンはシベリアの空に消えてしまって伝わらない感じを現しているように思うのですが」(by 大瀧さん)
大滝詠一「君は天然色」

「最初の音が出た瞬間、できたー!と思った」(by 大瀧さん)

3年ぶり7th シングル(1981年3月21日発売)

アルバム『A LONG VACATION』(1981年3月21日発売)収録

作詞:松本隆/作曲・編曲:大瀧詠一

シングルはオリコン36位

アルバムは夏に2位 第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞を受賞

発売の2年前、1979年に「ロング・バケーション」という絵本が存在した。文:大瀧詠一/絵:永井博。この企画を大瀧詠一に持ち込んだ担当者が最初に見せた絵が、リッキー・ネルソンの肖像画で、リッキー・ネルソンには『A LONG VACATION』(1962)というタイトルのアルバムがあるので、それをタイトルにした。で、この絵本にシングル盤12枚を集めたものをパッケージにして出そうと考えたが、それは挫折し、アルバムにして出すことになった。
大滝詠一「恋するカレン」

ちょっと性格の悪い詞だけど、曲はこのアルバムの中でもいちばん好きです。

アルバムからの2nd シングル(1981年6月21日発売)

アルバム『A LONG VACATION』(1981年3月21日発売)収録

オリコン67位

CDが世界で初めて発売されたのは1982年10月。邦楽の1枚目に『A LONG VACATION』が選ばれた。その初盤は音圧が低い。当時のアナログのオーディオでCDをそのままかけると、スピーカーを傷めてしまう可能性があったため、音圧を低く設定されたという。
太田裕美「恋のハーフムーン」

歌謡曲とポップスとロックのブレンド具合が極上、完璧な作品だと思うんだけどイマイチ売れてない。もったいない。

20th シングル(1981年3月21日発売)

作詞:松本隆/作曲・編曲:大瀧詠一/ストリングス&ホーン・アレンジ:松任谷正隆

オリコン81位

一線級のミュージシャンを大勢起用し、その場で編曲をしながら時間をかけて同曲とカップリング曲「ブルー・ベイビー・ブルー」のオケを作ったため、通常ならアルバムが1枚出来るだけの制作費がかかってしまったという。
松田聖子「風立ちぬ」

大瀧作品初のチャート1位獲得曲。聖子ちゃんパワーもあったけどやはり名作です。

7th シングル(1981年10月7日発売)

4th アルバム『風立ちぬ』(1981年10月21日発売)収録

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内/ストリングス・アレンジ:井上鑑

オリコン1位

「文語体の出だしと「すみれ、ひまわり、フリージア」の花屋の店先のような詞に曲をつけるのはむずかしく、苦労した」(by 大瀧さん)

アレンジ名の多羅尾伴内はこれまで何も言われなかったが、この曲でテレビにクレジットが出て、原作者:比佐芳武の親族からクレームが付き、使えなくなった(でも、1997年のシングル曲「幸せな結末」のカップリング曲「Happy Endで始めよう」の作曲者として再び使用)。
アルバム『風立ちぬ』のA面も大瀧がサウンド・プロデュース。B面は鈴木茂。全作詞は松本隆で、これ以降長期に渡り作詞を担当する。
【大瀧詠一History(8)】

1982年3月21日、『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』(佐野元春杉真理、大滝詠一)リリース。
佐野元春、杉真理、大滝詠一「A面で恋をして」

いかにも大瀧さんらしいタイトルですが、これは資生堂が決めたキャッチ・コピー。

シングル(1981年10月21日発売)

アルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.2』(1982年3月21日発売)

作詞:松本隆(タイトルは資生堂コピーライター)/作曲・編曲:大瀧詠一/ストリングス・アレンジ:松任谷正隆

オリコン14位

『A LONG VACATION』絶好調の中、資生堂のCM話が舞い込む。当時はそれ=ヒットだったが、『A LONG VACATION』で歌手・大滝詠一は一段落、次はプロデュースとレーベル(NIAGARA)だと思っていた矢先なので一旦断ってしまう。ところが「A面で恋をして」というキャッチ・コピーを聞いた途端、メロディが浮かんでしまい、形にしたくなってしまった。でも大滝詠一のシングルにはしたくないので、「ナイアガラ・トライアングル」のvol.2にしようと思いつく。それから相手を佐野と杉に決め、本人たちに言う前にライブのステージで発表してしまい、後に引けなくする作戦に出たのが功を奏し、話はトントン進んだ。

ただ、発売してみると、CMモデルの女性と自民党議員のスキャンダルが週刊誌を騒がせ、CM自体が1週間あまりで打ち切りとなってしまい、オリコン14位止まりだった。
金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」

1980年からビートルズの楽曲著作権保護が強化され、カヴァーの際の歌詞の変更(訳詞及び替え歌)が世界的に認められなくなったが、この作品を聴いたマッカートニーは日本語訳詞を許可したという。

16th シングル(1982年11月1日発売)

作詞・作曲:Lennon-McCartney/日本語訳詞:松本隆/編曲:萩原哲晶

ビートルズ結成20周年記念!

この作品のアレンジが萩原哲晶さんの遺作となった。

「萩原哲晶さん以上に大きな影響を受けたアレンジャーはいない。「君は天然色」のアレンジなど、哲晶さんのたとえば「ハイそれまでョ」の超スピーディな場面転換の手法をそのまま自分なりに解釈したもの。」(by 大瀧さん)
【大瀧詠一History(9)】

1982年11月21日、森進一「冬のリヴィエラ」リリース(オリコン10位)
薬師丸ひろ子「探偵物語」

この頃の薬師丸は実に可愛かったなぁ。

2nd シングル(1983年5月25日発売)

作詞: 松本隆/作曲: 大瀧詠一/編曲: 井上鑑

角川映画「探偵物語」の主題歌

オリコン1位

B面は「すこしだけやさしく」(TBS系TVバラエティ『わくわく動物ランド』のエンディング・テーマ曲)だが、当初「すこしだけやさしく」が「探偵物語」として同映画の主題歌に、「探偵物語」がカップリング曲「海のスケッチ」となる予定だったが薬師丸サイドの希望で変更になった。
ラッツ&スター「Tシャツに口紅」

コンセプト、歌詞、メロディ、どれをとっても非の打ち所のない名曲です。

通算11th 改名後2th シングル(1983年9月1日発売)

通算6th 改名後1st アルバム『SOUL VACATION』(1983年11月1日発売)収録

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:井上鑑

オリコン18位

アルバムも大瀧詠一プロデュース。ジャケット・アートワークはアンディ・ウォーホール。オリコン3位

【大瀧詠一History(10)】

1984年3月21日、アルバム『EACH TIME』リリース
大滝詠一「ガラス壜の中の船」

アルバムがやっと1位になったけど、2匹目3匹目のどじょうは狙わなかった。

アルバム『EACH TIME』(1984年3月21日発売)収録

作詞:松本隆/作曲・編曲:大瀧詠一/ストリングス・アレンジ:井上鑑

アルバムは自身唯一のオリコン1位

1986年6月1日に『Complete EACH TIME』を発売。1989年6月1日には、収録曲と曲順を変更したリマスター盤を発売。1991年には、元の曲順でCD選書で再発された。発売から20年経過した2004年3月21日には、ボーナストラックを追加した20周年記念盤CD、さらに10年後2014年3月21日には2013年リマスターに純カラオケを加えた2枚組CDの30周年記念盤がそれぞれ発売された。
最初のバージョンには「Bachelor Girl」と「フィヨルドの少女」がなく、『Complete EACH TIME』にはすべて収録、1989年盤には「魔法の瞳」と「ガラス壜の中の船」がなかった。
CDの発売週は、マイケル・ジャクソンの『スリラー』に抜かれたために2位だったが、翌週に邦人アーティストとしては初のオリコンCDチャートの1位を3週に亘って独占する。大瀧最後のオリジナル・アルバムとなった。

ジャケットのイラストは河田久雄。
【大瀧詠一History(11)】

1985年6月15日 はっぴいえんど、“国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW”に出演。
稲垣潤一「Bachelor Girl」

なぜ稲垣潤一かというと、「同郷のよしみ」だそうです。

6thシングル(1985年7月1日発売)

アルバム『REALISTIC』(1986年3月1日発売)収録

作詞:松本隆/作曲:大瀧詠一/編曲:井上鑑

当時「Bachelorという単語がGirlに付くのはおかしい」という指摘があり、最初の『EACH TIME』(1984年3月21日)への収録を見送った。その後、過去に事例があることがわかったが、大瀧さんが「同じ東北人のよしみで」稲垣潤一に提供し、そちらが先に発表される形となった。1986年に『Complete EACH TIME』として収録。
大滝詠一「フィヨルドの少女」

ギターのイメージはもちろんハンク・マーヴィンだね。

11th シングル(1985年11月1日発売)

作詞:松本隆/作曲・編曲:大瀧詠一/Guitar : Matti Luhtala(フィンランドのインストバンド”ムスタングス”のメンバー)

「Bachelor Girl」と両A面。制作は『EACH TIME』セッション時

オリコン31位。

【大瀧詠一History(12)】

1985年11月20日、小林旭「熱き心に」リリース(オリコン12位)

※作詞:阿久悠/作曲・編曲:大瀧詠一/ストリングスアレンジ:前田憲男
大滝詠一「夏のリビエラ~Summer Night In Riviera~」

冬から夏にわざわざ変えて、『SNOW TIME』に入れるという念の入れ方(笑)。

アルバム『SNOW TIME』(1985年12月配布/発売は1996年3月21日)収録

作詞:Martha Lavender/作曲・編曲:大瀧詠一

最初、プロモーション盤としてCDのみで配布された。82年に森進一に提供した「冬のリヴィエラ」の英語バージョン。

【大瀧詠一History(13)】

1986年3月6日/クレージー・キャッツ「実年行進曲」リリース ※作詞:青島幸男/作曲:大瀧詠一/編曲:多羅尾伴内
トニー谷「さいざんす・マンボ」

子供の頃なんとなく普通に観てましたが、「アベック歌合戦」ってかなりキテレツな番組でしたね。

シングル(1953年8月発売)

アルバム『ジス・イズ・ミスター・トニー谷』(1987年11月21日発売)収録

作詞:トニー谷&宮川哲夫/作曲:多忠修(おおのただおさ)/デュエット with 宮城まり子

1st シングル「レディス&ヂェンとルメン&おとっさん、おっかさん」のB面

トニー谷の死後すぐに大瀧が代表曲を集めたアルバムをプロデュース

トニー谷:

本名:大谷 正太郎 1917年〈大正6年〉10月14日 - 1987年7月16日

東京府東京市京橋区銀座(現:東京都中央区銀座)出身の舞台芸人(ヴォードヴィリアン)

1950年代前半、ジャズコンサートの司会として引っ張りだことなり、ヴォードヴィリアン(Vaudevillian)として歌や映画で人気を博す。50年代後半には低迷するが、1962年の日本テレビ系「アベック歌合戦」で復活。おそ松くんの”イヤミ”のモデル。
大瀧さんはこの他、橋幸夫『スイム!スイム!スイム!』(1990)、東京ビートルズ『Meet the 東京ビートルズ』(1994)、植木等『植木等的音楽』(1995)などをプロデュース
【大瀧詠一History(14)】

1997年11月12日、通算14作目にして本人名義としては12年ぶりのシングル「幸せな結末」リリース。フジテレビ系列ドラマ「ラブ・ジェネレーション」主題歌。主演は木村拓哉と松たか子
2003年5月21日、シングル「恋するふたり」リリース。大瀧さん最後のシングル。
竹内まりや&大滝詠一
「恋のひとこと(SOMETHING STUPID)」

大瀧さん最後のレコーディング音源。この素晴らしい歌唱でもっといろんなカヴァーも聴きたかったな。

アルバム『LONGTIME FAVORITES』(2003年10月29日発売)収録

作詞・作曲:Carson C. Parks/編曲:山下達郎&服部克久

オリジナルはフランク・シナトラ&ナンシー・シナトラ(1967年)で全米1位

竹内まりや自身のルーツとなった1960年代の楽曲をカヴァーしたアルバム。オリコン1位

「ダメ元を覚悟でお願いしてみたら、なんと即答でYESが返ってきたのです」(by まりや)

日本語の響きを大切にしていた大瀧さんにとって、竹内まりやの歌声はある種理想的、彼女の、特に最近の若いシンガーには難しいとされる鼻濁音の美しさを絶賛していた。

これが大瀧さんにとって最後の公式レコーディング作品となった。


                        

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