爆音アワー

爆音アワー

いい音爆音アワー vol.78 「男性ボー
カルに厳しい私が選んだ、ナイス男性
ボーカルs♪」

いい音爆音アワー vol.78 「男性ボーカルに厳しい私が選んだ、ナイス男性ボーカルs♪」

2017年5月17日(水)@風知空知

「男性ボーカルに厳しい」っていったいどこをどう?との疑念にお答えしますと、主に次のような私なりのハードルがあるのです。

・上手いのは当然の前提。ただし、必要だけど十分ではない。

・細かいビブラートは苦手。

・英語風発音はもっての外(桑田さんは別)。

まあ、男性だけでなく女性ボーカルに対してもこの条件は変わらないのですが、男性の私にとって女性の歌声はキホン心地よいので、それだけでハードルがグッと下がるんですね。

また、「桑田さんは別」についてですが、桑田佳祐氏は充分英語風発音ながら、気にならないのです。英語風でなければもっと好きかもしれませんが。彼の場合は発音以前に、歌詞自体を英語に匹敵するほどに、グルーヴィに作り込んでいるので、英語の歌のように聴けてしまうからだ、というのが自己分析です……。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト

アフリカン・アメリカン系→US白人系→ブリティッシュ系→日本人の順に進んでいきます。
Curtis Mayfield「Future Shock」

ファルセット・ヴォイスとスリリングなサウンドにドキドキします。

∨4th アルバム『Back To the World』(1973年5月発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:Curtis Mayfield/編曲:Rich Tufo

レーベル:Curtom

アルバムは全米16位、R&Bチャート1位


・1983年にハービー・ハンコックHerbie Hancockがヒット・アルバム『Future Shock』の中でカヴァー。
カーティス・メイフィールド:

1942年6月3日 - 1999年12月26日 米国イリノイ州シカゴ生まれ。

1958年、ジェリー・バトラーJerry Butlerらとともに”Impressions”を結成。「For Your Precious Love」がヒット。バトラー脱退後はカーティスがリード・ヴォーカルをとり、1965年には「People Get Ready」が、公民権運動を背景に大ヒットした。

1970年9月、1st ソロ・アルバム『Curtis』リリース。マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイ、スティーヴィー・ワンダーらと並んで「ニュー・ソウル」と呼ばれた。

1972年7月、3rd アルバムにして映画「Super Fly」のサウンドトラック『Super Fly』リリース。全米1位。

1990年8月、ニューヨークでのコンサート最中に照明器具の落下事故に合い、それが原因で半身不随となる。

1999年12月26日、糖尿病合併症により死去。満57歳没。
Otis Redding「Try a Little Tenderness」

まさに魂(=SOUL)の声。26歳で夭逝した天才シンガー。

∨シングル(1966年11月14日発売)

5th アルバム『Complete & Unbelievable: The Otis Redding Dictionary of Soul(ソウル辞典)』(1966年10月15日発売)収録

作詞・作曲:Jimmy Campbell, Reg Connelly. Harry M. Woods/編曲:Isaac Hayes/演奏:Booker T. & the M.G.'s

※オリジナルは”Ray Noble Orchestra”(1932年12月)

レーベル:Volt / Atco

全米25位 アルバムは全米73位、R&B5位


・ビング・クロスビーBing Crosbyやフランク・シナトラFrank Sinatraもカヴァーをしている。最初この曲のカヴァーを希望した際、音楽出版社は彼が黒人だからという理由で断ろうとしたらしい。
オーティス・レディング:

1941年9月9日〜1967年12月10日 米国ジョージア州グレイ生まれ。

15歳の時、家計を助けるために高校を中退する。

1958年、ギタリストのジョニー・ジェンキンスJohnny Jenkins率いる”Pinetoppers”にボーカル兼ドライバーとして参加。

1962年、レコード契約を目指すジェンキンスのドライバーとして、メンフィスのStaxスタジオに赴く。”Booker T. & the M.G.'s”とのセッションが早々と終了したため、レディングにも唄う機会が与えられた。彼の歌はStaxの経営者ジム・ステュワートJim Stewartを魅了し、Staxの兄弟レーベルVoltから、この時唄った「These Arms of Mine」がそのまま同年10月にリリースされた。

1967年6月、「Monterey Pop Festival」に出演。白人社会にもその名が知れ渡る。

1967年12月10日、コンサートのために、オハイオ州クリーブランドからウィスコンシン州マディソンへ、自家用機Beechcraft H18で向かう途中、モノナ湖に墜落し、”Bar-Kays”のメンバーらとともに死亡した。満26歳没。
Neil Young「Heart Of Gold(孤独の旅路)」

独特の鼻声。こんな変わった声、他にいません。

∨先行シングル(1971年発売)

4th アルバム『Harvest』(1972年2月1日発売)収録

作詞・作曲:Neil Young/プロデュース:Elliot Mazer, Neil Young

コーラス:Linda Ronstadt, James Taylor

レーベル:Reprise

全米1位 アルバムも全米1位(1972年の全米ベストセラー・アルバム)


・本アルバムは1971年の2月から9月に渡り、いろんな形で録音された。スタートはほとんど偶然。2月上旬、ヤングはテレビ番組「Johnny Cash Show」に出演するため、ナッシュビルに赴いた。リンダ・ロンシュタットとジェイムス・テイラーもいっしょだった。ナッシュビルに「Quadrafonic Sound Studios」を開設したばかりだったプロデューサーのエリオット・メイザーElliot Mazerはヤングにスタジオを使ってもらいたいと思い、6日の土曜日に夕食に招待した。当時ナッシュビルには”Area Code 615”と呼ばれるセッション・ミュージシャンたちがいて、ヤングは以前から興味を持っていた。その時、曲は何曲か持っていたので、もしドラマー、ベーシスト、ペダルスチール・ギタリストがいれば、すぐにでもレコーディングしたいと言い、メイザーは急遽ミュージシャンを探して、ドラムのケニー・バトリーKenny Buttrey、スチール・ギタリストのベン・キースBen Keithを確保、たまたま道を歩いていたベースのティム・ドゥラモンドTim Drummondをつかまえた。まさにその夜からレコーディングが始まり、翌7日、「Johnny Cash Show」収録のあと、ロンシュタットとテイラーをスタジオに呼んで「Heart Of Gold」のコーラスをレコーディングした。

バトリー、キース、ドゥラモンドは、ヤングに”The Stray Gators”と名付けられ、1973年冬のツアーにも起用された。
ニール・ヤング:

1945年11月12日、カナダ・オンタリオ州トロント生まれ。
Ned Doheney「If You Should Fall」

5月の風のように軽やかで爽やかな歌声。聴き飽きません。

∨2nd アルバム『Hard Candy』(1976年発売)収録

作詞・作曲:Ned Doheney/プロデュース:Steve Cropper

コーラス:Glen Frey, Don Henley

レーベル:CBS


ネッド・ドヒニー:

1948年3月26日、米国カリフォルニア州マリブ生まれ

1968年、ジャクソン・ブラウンJackson Browneとフォーク・バンドを組む。

1971年、デイヴ・メイスンDave Masonとキャス・エリオットMama Cass Elliotのデュオに曲「On and On」を提供。

1973年、Asylumレコードの第1号契約アーティストとして、1st アルバム『Ned Doheney』リリース。

1976年、CBSより2nd アルバム『Hard Candy』リリース。

1979年、3rd アルバム『Prone』リリース。

1988年、4th アルバム『Life After Romance』リリース。

1990年4月、FM横浜でパーソナリティ番組「Postcards from Hollywood」を持つ(→1993年9月)。

1993年、5th アルバム『Between Two Worlds』リリース。
Adam Levine>>Maroon 5「Sugar」

映画「はじまりのうた」を観て、ほんとに歌がうまい人だなと感心しました。

∨第3弾シングル・カット(2015年1月13日)

5th アルバム『V(ファイブ)』(2014年8月29日発売)収録

作詞・作曲:Adam Levine, Joshua Coleman, Lukasz Gottwald, Jacob Kasher Hindlin, Mike Posner, Henry Walter/プロデュース:Ammo, Cirkut

レーベル:Interscope

全米2位、全英7位、オリコン19位 アルバムは全米1位、全英4位、オリコン4位


アダム・レヴィーン:

1979年3月18日、米国カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ

1994年、ロスの「Brentwood School」の学友だったジェシー・カーマイケルJesse Carmichael (key)、ミッキー・マデンMickey Madden (b)、ライアン・デューシックRyan Dusick (dr)と”Kara's Flowers”結成。

リプリーズと契約し、アルバムもリリースするが売れず、1999年には契約も打ち切られる。

2001年4月、Octone Recordsと契約、ジェームズ・ヴァレンタインJames Valentine (g)が加入し5人組となり、”Maroon 5”と改名する。

2002年6月、1st アルバム『Songs About Jane』リリース。ロングセラーとなり、2004年9月に全米6位に達した。

2006年9月、ドラムのライアンが身体の故障により脱退、後任にマット・フリンMatt Flynnが加入。

2007年5月、2nd アルバム『It Won't Be Soon Before Long』リリース。全米初登場1位。

2010年9月、3rd アルバム『Hands All Over』リリース。

2011年6月、シングル「Moves Like Jagger feat. Christina Aguilera」リリース。全米1位。

2012年6月、4th アルバム『Overexposed』リリース。

2014年8月、5th アルバム『V』リリース。
BØRNS「Holy Ghost」

ハイトーンの伸びやかな歌声と、ポップながらヒネりの効いた曲作り。

∨1st アルバム『Dopamine』(2015年10月16日発売)収録

作詞・作曲:Garrett Borns, Tommy English, Nicholas Long/プロデュース:Tommy English

レーベル:Geffen / Interscope

アルバムは全米24位、AlternativeとRockチャートで2位


ボーンズ(Garrett Borns):

1992年1月7日、米国ミシガン州グランド・ヘイブン生まれ。

10歳でプロのマジシャンとして活躍する。

2012年1月、Garrett Borns名義で1st EP『A Dream Between』リリース。

2014年10月、Interscope Recordsより、デビュー・シングル「10,000 Emerald Pools」リリース。

 同年11月、EP『Candy』リリース。

2015年10月、1st アルバム『Dopamine』リリース。
Tony Mansfield>>New Musik
「This World Of Water」

天然のハーモナイザー・ヴォイス。プロデューサとしても活躍。

∨3rd シングル(1980年4月発売)

1st アルバム『From A To B』(1980年4月18日発売)収録

作詞・作曲・プロデュース:Tony Mansfield

レーベル:GTO

全英31位 アルバムは全英35位


トニー・マンスフィールド:

1955年1月19日、英国ウィンブルドン生まれ

1977年、彼が中心となり、ニック・ストレイカーNick Straker、トニー・ヒバートTony Hibbert (b)、フィル・タワーPhil Towner (dr)とともに結成。

1979年、シングル「Straight Lines」でデビュー。

ストレイカーが脱退し、クライヴ・ゲイツClive Gates (key)が加入。

1980年4月、1st アルバム『From A To B』リリース。

1981年3月、2nd アルバム『Anywhere』リリース。

1982年3月、3rd アルバム『Warp』リリース。しばらく後に解散。

以降、プロデューサーとして、After the Fire, a-ha, Aztec Camera, The B-52's, The Damned, Captain Sensible, Naked Eyes, Mari Wilson, Jean Paul Gaultier, Miguel Bosé, Ana Torrojaらを手がける。
Rod Stewart「This Old Heart Of Mine」

大西洋を渡ったハスキー・ヴォイスをトム・ダウドがプロデュース。

∨第2弾シングル・カット(1975年11月)

6th アルバム『Atlantic Crossing』(1975年8月15日発売)収録

作詞・作曲:Lamont Dozier, Brian Holland, Eddie Holland, Sylvia Moy

※オリジナルはMotown時代の”The Isley Brothers”(1966年1月発売)

プロデュース:Tom Dowd

レーベル:Warner Bros.

全米83位 アルバムは全英1位、全米9位


・ワーナー・ブラザーズ移籍第1弾。当時の英首相、ハロルド・ウィルソンによって導入された最高83%もの所得税を逃れるためもあって、渡米して制作された。

・これまでのロン・ウッドやイアン・マクレガン(key)らと離れ、スティーブ・クロッパーSteve Cropper、ドナルド・ダック・ダンDonald ""Duck"" Dunn、ブッカー・T・ジョーンズBooker T. Jones、アル・ジャクソンAl Jackson Jr.やメンフィス・ホーンズらを起用した。
ロッド・スチュワート:

1945年1月10日、英国ロンドン生まれ。

いくつかのバンドを経て、1967年、”Jeff Beck Group”に参加。

1969年夏、ロン・ウッドRonnie Woodとともに”Jeff Beck Group”を離れ、ちょうどスティーブ・マリオットSteve Marriottが抜けた”Small Faces”に加入する。バンドは”Faces”と改名。

1969年11月、1st ソロ・アルバム『An Old Raincoat Won't Ever Let You Down』リリース。

1970年3月、Faces、1st アルバム『First Step』リリース。

1971年5月、3rd ソロ・アルバム『Every Picture Tells a Story』リリース。全米全英ともに1位。

1971年11月、Faces、3rd アルバム『A Nod Is As Good As a Wink... to a Blind Horse(馬の耳に念仏)』リリース。

1973年5月、Faces、ロニー・レーンRonnie Lane脱退。

1975年、ウッドが”The Rolling Stones”に参加し、12月Facesは解散。

・・・・・・
Freddy Mercury>>Queen
「Somebody To Love(愛にすべてを)」

歌だけをとってみても、この人に代わる者はいない。

∨先行シングル(1976年11月12日発売)

5th アルバム『A Day At the Race(華麗なるレース)』(1976年12月10日発売)収録

作詞・作曲:Freddy Mercury/プロデュース:Queen

レーベル:EMI / Elektra

全英2位、全米13位 アルバムは全英1位、全米5位、オリコン1位


・ロイ・トーマス・ベイカーRoy Thomas Bakerから離れ、自分たちでプロデュースした最初のアルバム
フレディ・マーキュリー(本名:ファルーク・バルサラFarrokh Bulsara):

1946年9月5日 - 1991年11月24日 英領ザンジバル(現タンザニア)生まれ。

1954年、8歳でボンベイ(現ムンバイ)郊外の全寮制の英国式寄宿学校、セント・ペーターズ・ボーイズ・スクールに通う。

1964年、ザンジバル革命が起こり、一家はイングランド・ミドルセックス州フェルサムに移住。ウェスト・ロンドンのアイルワース工業学校〜イーリング・アートカレッジで芸術とグラフィック・デザインを学ぶ。

1970年4月、”Smile”に加入。やがてフレディが考えた”Queen”と改称。

1987年4月、オペラ歌手、モンセラート・カバリエMontserrat Caballéとのコラボ・アルバム『Barcelona』制作。

1991年11月24日夜、ケンジントンの自宅で、エイズによる気管支肺炎により死去。満45歳。

翌年のバルセロナ・オリンピック開会式でカバリエとともに「バルセロナ」を歌う予定であったが、ホセ・カレーラスが代役を務めた。
玉置浩二「男はつらいよ」

音楽評論家のスージー鈴木氏が「低音部分が湿ったタオル、高音部分が乾いたゴム」と評する強力ボーカル。

∨アルバム『群像の星』(2014年12月3日発売)収録

作詞:星野哲郎/作曲:山本直純

※オリジナルはもちろん、渥美清が唄う、映画「男はつらいよ」シリーズの主題歌(1970年2月発売)


たまき・こうじ:

1958年9月13日、北海道旭川市生まれ

1973年、中学の同級生、武沢豊と”安全地帯”を結成。

1981年、井上陽水のバックバンドとして上京。

1982年2月、安全地帯、キティレコードより「萠黄色のスナップ/一度だけ」でデビュー。

1987年、1st ソロ・シングル「All I Do」リリース。

1993年、安全地帯、活動休止。

1996年、NHK大河ドラマ「秀吉」に足利義昭役で出演。「田園」が大ヒット。

2002年〜2003年、安全地帯、活動再開、また休止。

2010年、安全地帯、活動再開。

2013年、ドラマ「東京バンドワゴン」に出演。亀梨和也とのユニット「堀田家BAND」名義でリリースした主題歌「サヨナラ☆ありがとう」が自身28年ぶりのオリコン1位獲得。

2014年12月、カヴァー・アルバム『群像の星』リリース。
前川清>>内山田洋とクール・ファイブ
「すべてを愛して」

ホントは演歌が好きじゃないらしいけど、このコブシは絶妙です。特に1番の「真実」のところ。

∨7th シングル(1971年1月10日発売)

作詞:川内康範/作曲:鈴木淳/編曲:森岡賢一郎

オリコン24位


まえかわ・きよし:

1948年8月19日生まれ 長崎県佐世保市出身。

米軍佐世保基地の兵舎から流れてきたジャズに衝撃を受け、中学、高校とジャズに熱中する。

1967年9月、長崎市のキャバレー「銀馬車」の専属バンドとして”内山田洋とクール・ファイブ”結成。

1968年、”内山田洋とクール・ファイブ”に加入。

1969年2月5日、「長崎は今日も雨だった」でデビュー。オリコン2位。

1971年、藤圭子と結婚。翌年離婚。

1987年、クール・ファイブ脱退。

2006年11月3日、内山田が肺がんのため横浜市内の病院で死去。享年70。
小林旭「ショーがないね節」

笑っちゃうほどストレートであっかるい歌唱。

∨シングル(1976年3月25日発売)

作詞:高田ひろお/作曲:首藤正毅/編曲:原田良一


こばやし・あきら:

1938年11月3日、東京都世田谷区生まれ

1956年、映画「飢える魂」で俳優デビュー。

1958年、「女を忘れろ」で歌手デビュー。

1962年、美空ひばりと事実婚。1964年に解消。

1967年、女優の青山京子と結婚。

1973年〜、映画「仁義なき戦い」シリーズ出演。

1985年、大瀧詠一作曲、阿久悠作詞の「熱き心に」、AGFのCMソングにもなりヒット。
大工哲弘「ロンドンの街角で」

この渋〜い声で、「あーあーろんどんのー」と歌われるとたまりません♪

∨アルバム『JINTA INTERNATIONALE』(1996年発売)収録

作詞:佐伯孝夫/作曲:吉田正/プロデュース:梅津和時

レーベル:Off Note


・「ジンタ」とは明治時代中期の日本に生まれた民間オーケストラ「市中音楽隊」の愛称。
だいく・てつひろ:

1948年10月13日、沖縄県石垣市新川生まれ。

八重山農林高校卒業後、八重山民謡の大家・山里勇吉に師事。

1970年、マルフクレコードからシングル「川良山・まるまぶんさん」リリース。

1974年、ビクターよりアルバム『沖縄うらみ節・八重山ゆんた』リリース。

96年、南西アフリカ5カ国、98年、東南アジア諸国、99年、環太平洋4カ国、2011年は南米4カ国とワールドワイドで活動を続ける。

1999年、沖縄県無形文化財(八重山古典民謡)保持者に指定される。

2015年、琉球民謡音楽協会名誉会長に就任。
忌野清志郎>>RCサクセション
「スローバラード」

PAがしょぼかった時代に、ロックで唯一しっかり歌詞が聴き取れたのがキヨシローでした。

∨先行シングル(1976年1月21日発売)

3rd アルバム『シングル・マン』(1976年4月21日発売)収録

作詞・作曲:忌野清志郎・みかん/編曲:星勝&RCサクセション/プロデュース:多賀英典

brass: Tower Of Power / sax: Emilio Castillo?/ strings: New York Philharmonic Orchestra

レーベル:ポリドール


・”みかん”は清志郎が当時飼っていた猫の名前らしい…

・”Tower Of Power”はたまたま1974年に来日していた時に参加してもらった。クレジットはなし。

・”NYPO”も1974年来日している。指揮はピエール・ブーレーズPierre Boulez

・1974年に制作、1976年、RCが「りぼん」に移籍、レコード会社もポリドールに移り、やっと発売に至ったが、1年も立たないうちに廃盤。1979年になり、音楽評論家の吉見佑子を中心に「シングル・マン再発売実行委員会」が設立され、限定300枚買上げという形でやっと再発売が実現、青山のパイドパイパーハウスと国立のレコード・プラントでのみ発売されるが、1,500枚まで売り上げ、1980年に正式に再発売となる。
いまわの・きよしろう:

1951年4月2日 - 2009年5月2日 東京都中野区生まれ

1966年、中学の同級生だった小林和生(b)、破廉ケンチ(g)と”The Clover”を結成する。

1968年、”RCサクセション”誕生。

1970年、”RCサクセション”、「宝くじは買わない」で東芝音楽工業よりデビュー。

1973年、井上陽水と共作した「帰れない二人」「待ちぼうけ」の2曲を含む陽水のアルバム『氷の世界』 リリース。日本音楽史上初のミリオンセラー・アルバムとなる。

1974年、担当マネージャー:奥田義行が井上陽水を連れてホリプロから独立、「りぼん」設立。そのとばっちりでRCは事実上活動停止。その間、アルバム『シングル・マン』を制作。

1976年4月、アルバム『シングル・マン』リリース。

1980年6月、アルバム『RHAPSODY』リリース。

1982年2月、坂本龍一とのコラボ・シングル「い・け・な・いルージュマジック」リリース。

1987年2月、初のソロ・アルバム『RAZOR SHARP』リリース。

1988年、”The Timers”結成。

1989年10月、フジTV「ヒットスタジオR&N」でFM東京を罵倒する歌を披露。

1991年、”RCサクセション”解散。

2006年7月、喉頭癌で入院。

2009年5月2日0時51分、癌性リンパ管症にて死去。満58歳没。
桑田佳祐>>サザンオールスターズ
「愛する女性(ひと)とのすれ違い」

選曲悩みましたが、この曲は楽〜に唄っているようでパフォーマンスは完璧なんで。

∨8th アルバム『KAMAKURA』(1985年9月14日発売)収録

作詞・作曲:桑田佳祐/編曲:サザンオールスターズ & 藤井丈司

レーベル:タイシタレーベル

アルバムはオリコン7週連続1位
くわた・けいすけ:

1956年2月26日、神奈川県茅ヶ崎市生まれ。

青山学院大学の音楽サークル「Better Days」でバンド活動を開始。

1978年6月25日、ビクター音楽産業より、”サザンオールスターズ”として「勝手にシンドバッド」でデビュー。

1982年2月、原由子と結婚。

1987年10月、1st ソロ・シングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」リリース。

1990年9月、初監督映画「稲村ジェーン」公開。

2000年12月、サザンオールスターズ「TSUNAMI」(1月発売)が第42回日本レコード大賞受賞。

2001年、大森隆志が脱退。

2010年7月、初期の食道癌が発覚。同年末の「第61回NHK紅白歌合戦」から活動再開。
Spinna B-ILL「I Believe」

声よし、うまし、歌い方好き。三拍子そろったすごいシンガーなのにまだまだ知られてない。是非聴いて♪

∨1st ソロ・アルバム『Re:Program』(2007年10月3日発売)収録

作詞・作曲:Spinna B-ILL

レーベル:Free Works


スピナ・ビル:

島根県益田市出身。

2001年、”Spinna B-ill & the cavemans”を結成。

2002年8月、1st アルバム『Humarhythm』リリース。

2005年、ソロ活動開始。”The Cavemans”は継続。

2005年9月、Kenji Jammer (ex. Simply Red)との共作アルバム『Spinna B-ill meets Kenji Jammer』リリース。

”Spinna B-ILL”と表記を改める。

2007年10月、1st ソロ・アルバム『Re:Program』リリース。

2009年9月、2nd アルバム『Stand Alone』リリース。

2015年1月、カヴァー・アルバム『ROMANTIK NOIZE』リリース。
山下達郎「悲しみのJODY (She Was Crying)」

説明不要ですね。この曲は最初から最後までファルセットで歌い尽くします。

∨10th アルバム『Melodies』(1983年6月8日発売)収録

作詞・作曲・編曲・プロデュース:山下達郎

dr/b/g/key: 山下達郎/t. sax: 井上大輔

レーベル:ALFA MOON(移籍第1弾)

アルバムはオリコン初登場1位


・このアルバムから作詞に本格的に取り組み始めた。
やました・たつろう:

1953年2月4日、東京都文京区本郷生まれ、豊島区池袋出身

中学・高校の6年間、ブラスバンド部で打楽器を担当する。

1972年8月、村松邦男、鰐川己久雄らとアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を自主制作。

1973年3月、”シュガー・ベイブ”結成。

1975年4月、シュガー・ベイブ、アルバム『SONGS』をナイアガラ・レーベルよりリリース。

1976年12月25日、1st ソロ・アルバム『CIRCUS TOWN』をRCA ⁄ RVCよりリリース。

1978年12月、3rd アルバム『GO AHEAD!』リリース。

1980年5月、シングル「RIDE ON TIME」リリース。オリコン3位。

1982年4月、竹内まりやと結婚。

・・・・・・
大瀧詠一「さらばシベリア鉄道」

2回目のサビの「旅人よ」の歌いっぷりがシビレます♪

∨アルバム『A LONG VACATION』(1981年3月21日発売)収録

作詞:松本隆/作曲・編曲・プロデュース:大瀧詠一

レーベル:NIAGARA / CBSソニー

アルバムはオリコン2位


・当初、1980年の大瀧の誕生日、7月28日にリリースする予定だったが、松本隆が、妹の死去により詞が書けなくなり、「降りる」と言い出したが、「書けるまで待つよ」と発売をまず9月、さらに翌年3月にのばした。

・このアルバムで初めて自分のボーカルにKeyを合わせたらしい。

太田裕美バージョンは1980年11月21日発売なので、そちらがオリジナルとなる。

・太田裕美バージョンとサビのメロディが違う。2回目の「旅人よ」のところがシビれる。
おおたき・えいいち:

1948年7月28日 - 2013年12月30日 岩手県江刺郡梁川村(後の江刺市、現: 奥州市江刺区)生まれ。

1969年、”エイプリル・フール”解散後、細野晴臣と松本隆が作った”ヴァレンタイン・ブルー”に加入する。

1970年、ヴァレンタイン・ブルーは”はっぴいえんど”と改称し、8月、!st アルバム『はっぴいえんど』をリリース。

1972年11月、1st ソロ・アルバム『大瀧詠一』リリース。

1974年9月、「ナイアガラ・レーベル」を立ち上げる。

1980年、CBSソニーに移籍。

1981年3月、アルバム『A LONG VACATION』リリース。夏にはオリコンで2位まで達する。「第23回日本レコード大賞・ベストアルバム賞」を受賞。

 同年10月、曲を提供した松田聖子「風立ちぬ」が大ヒット。

1984年3月、アルバム『EACH TIME』リリース。歌手活動の休止を決断。

1997年11月、12年ぶりの新曲「幸せな結末」リリース。

2013年12月30日19:00頃、解離性動脈瘤で死去。満65歳。

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