爆音アワー

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いい音爆音アワー vol.58 「涙もんの
ギター・ソロ特集」

いい音爆音アワー vol.58 「涙もんのギター・ソロ特集」

2016年3月16日(水)@風知空知

楽器の中でエレキ・ギターがいちばん好きです。まったく弾けませんけど。

電気の力で無限の音色を作れるけど、決め手は弾き手のテクニックやセンスがものをいうという、技術と人力のバランスが、他の楽器にはない魅力です。

だからエレキ・ギターは十人十色。特にソロは個性が出ます。いろんなギタリストのいろんなソロを集めてみました。

本イベントで2回目のギター・ソロ特集です。

福岡智彦 (いい音研究所)

セットリスト
Eric ClaptonDerek and the Dominos「Bell Bottom Blues」
ソロの頭、ハミングとユニゾるところがいい。「かすれピッキング」はロビー・ロバートソンの影響。

シングル(1971年発売)

アルバム『LAYLA and Other Assorted Love Songs(いとしのレイラ)』(1970年11月発売)収録

作詞・作曲:Eric Clapton

アルバムは全米16位(英でチャートインせず) シングルは全米91位

デュエイン・オールマンDuane Allmanがレコーディング参加する前にレコーディングされたので、ギターはクラプトンひとり。


Eric Clapton: 1945年3月30日、英国リプリー生まれ。

“CREAM”解散後、1969年に結成した”Blind Faith”もアルバム1枚で崩壊、クラプトンは、”Blind Faith”のアメリカツアー時に前座を務めた”Delaney & Bonnie and Friends”に参加した。

1970年、その”Delaney & Bonnie and Friends”もやがて分裂するが、メンバーのボビー・ホィットロックBobby Whitlockがイギリスでクラプトンに合流、2人は曲作りを始める。

1970年8月、”Delaney & Bonnie and Friends”からさらにカール・ラドルCarl Radleとジム・ゴードンJim Gordonが合流、ライブ活動を始める。最初のライブで、仮のバンド名”Eric & The Dynamos”を、アナウンサーが読み違え、”Derek and the Dominos”と言ってしまったが、当時もう目立つのは嫌だったクラプトンはそれを採用した。

レコーディングのために訪れた米国マイアミで、ちょうど”The Allman Brothers Band”がコンサートで来ていて、プロデューサー、トム・ダウドTom Dowdがクラプトンにデュエイン・オールマンを紹介し、デュエインはレコーディングに参加することになる。

1971年、2nd アルバムのレコーディング中にクラプトンとゴードンが激しい口論になり、制作は中止、バンドはあっけなく解散した。
Jeff Beck/Jeff Beck「She's a Woman」
レス・ポール&メアリー・フォードの「How High The Moon」(1951)を気に入り、何度も何度も聴いてソロをコピーした。

アルバム『BLOW BY BLOW』(1975年3月29日発売)収録

作詞・作曲:John Lennon & Paul McCartney/プロデューサー:George Martin

全米4位

Max Middleton (keyboards), Phil Chen (bass), Richard Bailey (drums, percussion)

本名:Geoffrey Arnold ""Jeff"" Beck: 1944年6月24日、英国サリー州ウォーリントン生まれ。

1974年5月に”BBA = Beck, Bogert & Appice”が自然消滅した後、同年12月より本作をレコーディング。

当時、ジェフは”マハヴィシュヌ・オーケストラ”のジャズ・ロック的なアプローチに傾倒し、彼らのアルバム『黙示録 Apocalypse』をプロデュースしたジョージ・マーティンにプロデュースを依頼した。
Les PaulLes Paul & Mary Ford「How High the Moon」
銘器ギブソン・レスポールにその名を残すギタリストはすごい発明家でもあった。1951年にして早くも多重録音の一人コーラス。

シングル(1951年1月4日発売)

作詞:Nancy Hamilton/作曲:Morgan Lewis

全米1位(9週間)

原曲は1940年のミュージカル「Two for the Show」のために作られたもの。

レス・ポール(本名:Lester William Polsfuss 1915年6月9日―2009年8月12日 米国ウィスコンシン州ウォークシャー出身)

メアリー・フォード(Mary Ford 1924年7月7日―1977年9月30日 米国カリフォルニア州エルモンテ出身)
13歳までにカントリーミュージックのセミプロ・ギタリストとして演奏活動をスタート。

1941年 新しいエレキ・ギター「ログ」を創作。

1946年 「ログ」のアイディアをギブソン社に持ち込んだが一蹴される。この頃自宅に録音スタジオを建設し、多重録音やディレイマシンなど様々な発明をする。

1948年 世界初のオーバーダビング・レコーディングで作られた「Lover / Brazil」をリリース。

1949年12月 Mary Fordと結婚(3度目)。「Les Paul & Mary Ford At Home」というTVショーは7年も続いた。

1952年 ギブソン社初のソリッドギター「レスポール」が発売される。アンペックス社からレスが開発した世界初の8トラック・テープレコーダーが発売される。
石田長生/SOOO BAAD REVUE「真夜中の歌姫」
昨年惜しくも他界した、ナニワの「こぶし」ギタリスト。

アルバム『SOOO BAAD REVUE』(1975年発売)収録

作詞・作曲・編曲:石田長生

このアルバム1作を残して、約1年で解散。2014年のフジロックに再結成出演。

石田長生:
1952年7月25日―2015年7月8日 大阪府八尾市出身。

1974年 大塚まさじの「ジ・オリジナル・ディラン」に参加、レコーディング・デビュー。

1975年 単身渡米。メンフィスのソウル・ミュージシャンと交流する。

帰国後、山岸潤史、北京一、チャールズ清水、永本忠、ベーカー土居、砂川正和、国府照幸と”ソー・バッド・レビュー”を結成。

1980年 砂川正和、国府照幸と”サウス・トウ・サウス”の正木五郎、藤井裕に渡辺サトル、金子マリと”The Voice & Rhythm”を結成。アルバム『ボイスればリズムる!』でデビュー。


1989年 Charとアコースティック・デュオ”馬呆(BAHO)”を結成。

2003年3月 阪神タイガースの球団公認応援歌「嵐は西から」の作詞・作曲・プロデュースを手がける。

2006年11月 4年半ぶり通算8枚目となるオリジナル・アルバム『Ishiyan』発表。

2015年3月 食道がんが見つかり、治療に専念するためライブ活動を休止、入院。

同年7月8日早朝 永眠。
Mark KnopflerDire Straits「Lady Writer(翔んでる!レディ)」
聴けばこの人とすぐ判る、指弾きの特徴的な音と独特のフレーズ。

シングル(1979年7月13日発売)

2nd アルバム『COMMUNIQU?』(1979年6月15日発売)収録

作詞・作曲:Mark Knopfler/プロデュース:Barry Beckett & Jerry Wexler

全米11位・全英5位 ドイツ、ニュージーランド、スウェーデンで1位

バハマ・ナッソーのコンパス・ポイントStで録音され、 アラバマ州のMuscle Shoals Sound Studioでミックスされた。

本名:Mark Freuder Knopfler OBE

1949年8月12日生

英国スコットランド・グラスゴー出身
10代の頃からギターを独学で学びはじめ、大学卒業後は新聞記者や教師をしつつ複数のバンドを掛け持ちしてパブに出入りするようになる。

1970年代半ばに”Dire Straits”を結成。

1978年 Dire Straits、1st al『Dire Straits』リリース。

1983年 ソロで映画「ローカル・ヒーロー」のサウンドトラックをリリース。以後、サウンドトラック多数。

1988年より”Dire Straits”としての活動を一度停止。

1995年 ”Dire Straits”解散
1996年 サウンドトラックを除けば初のソロ・アルバム『ゴールデン・ハート』をリリース。

2000年 2nd ソロ・アルバム『セイリング・トゥ・フィラデルフィア』は全世界で400万枚を超える大ヒット。

2015年発売の8作目のソロ・アルバム『Tracker』ではソロでは初、バンド時代も含めれば24年ぶりとなる全英トップ3入りを果たした。
Amos Garrett/Maria Muldaur「Midnight At the Oasis
個性的なギター・プレイが高く評価され、エイモス・ギャレットの名を広く知らしめた作品。

1st アルバム『MARIA MULDAUR(オールド・タイム・レイディ)』(1973年8月発売)収録

作詞・作曲:David Nichtern/プロデュース:Lenny Waronker & Joe Boyd

シングルは全米6位 アルバムは全米3位

普通のピックは使わず、サムピックと人差し指と中指にフィンガーピックをつけ、指弾きをしている。

Amos Garrett:

1941年11月26日、米国ミシガン州デトロイト生まれ。5歳のときにカナダのトロントに移転。

14歳でギターを弾き始める。

1964年 トロントのジャグ・バンド”The Dirty Shames”に参加

1970年 ”ジェフ&マリア・マルダー”のバンドでプレイするため、ウッドストックに移住。

アルバート・グロスマンAlbert GrossmanのBearsvilleレーベルのレコーディング・セッションで活躍、またポール・バターフィールドPaul Butterfieldの”Better Days”や”Hungry Chuck”のメンバーだった。

1976年 サンフランシスコに移住、1978年までマリア・マルダーのバンド・リーダーを務めながら多くのセッションに参加。

1980年 初のソロ・アルバム『Go Cat Go』リリース。
Maria Muldaur:1943年9月12日 米国ニューヨーク市グリニッジ・ヴィレッジ生まれ

後にポール・バターフィールドの”ベター・デイズ”に参加するジェフ・マルダーGeoff Muldaurと、”ジェフ&マリア・マルダー”として、1969年、アルバム『Pottery Pie』リリース。

1973年、ソロ・デビュー作『Maria Muldaur』リリース。

以降毎年のようにアルバムをリリースし、現在に至るまで着実に活動している。
鈴木茂/荒井由実「卒業写真」
これはエイモス・ギャレット風な鈴木茂。思わず耳が引っ張られるソロです。

3rd アルバム『COBALT HOUR』(1975年6月20日発売)収録

作詞・作曲:荒井由実/編曲:松任谷正隆

ハイ・ファイ・セットのデビュー・シングル(1975年2月5日発売)として提供した曲

アルバムはオリコン2位

鈴木茂: 1951年12月20日生 東京都世田谷区出身。

1968年 林立夫、小原礼らとともに”スカイ”を結成。

1969年 細野晴臣に誘われ”はっぴいえんど”に加入

バンドの解散後に細野らと”キャラメル・ママ”を結成、”ティン・パン・アレー”へと発展させる。

1975年 ロサンゼルスで録音した初ソロアルバム『BAND WAGON』発表。

帰国後、”ハックルバック”を結成

1992年 尾崎亜美、小原礼らとともに”桃姫BAND”を結成。

2000年 細野・林と”ティン・パン”を結成。

アレンジャーやセッション・ミュージシャンとして多くの作品に関わった。
Pat Metheny矢野顕子「愛はたくさん」
シンセ・ギター、ローランドG303が好きみたいで。個人的にはシンセ・ギターじゃないほうが好きなんだけど。

EPIC移籍第1弾アルバム『LOVE LIFE』(1991年10月25日発売)収録

作詞・作曲・編曲:矢野顕子

アルバムはオリコン21位

間奏はナチュラル系の音であっさりと、後奏はシンセギターで弾きまくる

Pat Metheny: 1954年8月12日生 米国ミズーリ州リーズサミット出身。

13歳でギターを独学で始める。

1972年 ゲイリー・バートンがメセニーの実力を認め、彼の推薦で18歳でバークリー音楽大学の講師を務める。

1974年 ゲイリー・バートンの『リング』でレコーディング・デビュー。

1975年 ジャコ・パストリアスを迎えた初リーダー作『ブライト・サイズ・ライフ』をリリースし、ソロ・キャリアをスタート。

1978年 “パット・メセニー・グループ”を結成。オリジナルメンバーはライル・メイズ、マーク・イーガン、ダン・ゴッドリープ。

以後、グループもソロも、現在に至るまでコンスタントに活動を続けている。
矢野顕子: 1955年2月13日、東京都生まれ。幼少期を青森県で過ごす。

1976年 デビューアルバム『JAPANESE GIRL』を発表。

1979年/1980年 YMOワールドツアーに参加

1989年 パット・メセニーらニューヨークのジャズ・ミュージシャンとの交流が始まる。

1990年 一家でアメリカニューヨーク州へ移住し、現在まで拠点を構えている。

2015年9月 アルバム『Welcome to Jupiter』をリリース。
Robert FrippBrian Eno「St. Elmo's Fire」
ブライアン・イーノの発想に最も応答できるギタリストがロバート・フリップでしょう。鬼才同士です。

3rd アルバム『ANOTHER GREEN WORLD』(1975年9月発売)収録

作曲:Brian Eno/プロデュース:Eno & Rhett Davies

/Wimshurst Guitar: Robert Fripp

英国の発明家、ジェームス・フィムズハートJames Wimshurstが発明した静電発電機フィムズハースト・マシーンのような感じのギター、というイーノの注文によって弾いたギター。

何も事前に準備せずスタジオに入って、「Oblique Strategies」というカードを使ってインスピレーションを得て作ったアルバム。


Robert Fripp:1946年5月16日生 英国ドーセット州ウィンボーン・ミンスター出身

1967年 後の”キング・クリムゾン”のメンバーとなるジャイルズ兄弟(マイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズ)との3人で、”ジャイルズ・ジャイルズ&フリップ”を結成して、アルバム1枚を発表する。このバンドに、イアン・マクドナルドとグレッグ・レイクが参加し、キング・クリムゾンへと発展する。

現在でも1日2時間はギターの練習をしているという。
Brian Eno:1948年5月15日生 英国サフォーク州ウッドブリッジ出身

1971年1月 Andy Mackayの誘いにより、”Roxy Music”にシンセ・プレイヤーとして加入。

1973年7月 ツアーに疲れ、Brian Ferryとも合わず、脱退。

ソロおよびコラボ・アルバム多数。

「アンビエント・ミュージック」という言葉も作った。

デビッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、U2、Coldplayなど、多数のアーティストの作品に、プロデューサー、あるいはソングライター、ミュージシャンとして関わり、ポップス界に大きな影響を与え続けてきた。

ロバート・フリップとの交友は深く、1973年にアルバム『No Pussyfooting』、1975年に『Evening Star』を共作、その後も何枚かのアルバムを共作している。
Brian May/Queen「Dreamers Ball」
自作ギター「レッド・スペシャル」をコインで弾き、多重録音。Queenサウンドを決定づけたギター・スタイルです。

7th アルバム『JAZZ』(1978年11月10日発売)収録

作詞・作曲:Brian May/プロデュース:Queen & Roy Thomas Baker

全英2位・全米6位・オリコン5位

「jazz」は「ナンセンス」を意味する。

Brian May: 1947年7月19日、英国ミドルセックス州ハンプトン生まれ。

インペリアル・カレッジ・ロンドンで学び、大学院では宇宙工学を研究しており、天文学者でもある。クイーンの活動が軌道に乗るまでは中学校の講師として教鞭を執っていた。
自作ギター「レッド・スペシャル」を愛用。まだ学生の頃、知人の家にあった100年以上前の乾燥した暖炉の木材を材料に、エンジニアだった彼の父と自作したオール・カスタム・ギターである。アームは編み物棒、バーンズ社製のトライ・ソニック・ピックアップを3つ装着。

ピックを使わず、6ペンス・コインや、1990年代後半からはオーストラリア・5セントコインを使用する。アンプは常にVOX製AC30。

そして多重録音による凝ったギター・アンサンブルが特徴。その音像がシンセと間違えられるのに反発し、初期のレコードパッケージには""No Synthesizers were used on this Album”と書かれてあった。

2012年 ロンドンオリンピックの閉会式にロジャー・テイラーとともにスペシャルゲストで登場した。
Larry CarltonSteely Dan「Kid Charlemagne(滅びゆく英雄)」
スティーリー・ダンの作品には名ギター・ソロが多い。厳しくて、いいソロ弾くまで帰してもらえないんだろうなぁ。

シングル(1976年5月発売)

5th アルバム『THE ROYAL SCAM(幻想の摩天楼)』(1976年5月発売)収録

作詞・作曲:Walter Becker & Donald Fagen/プロデュース:Gary Katz/Drums: Bernard Purdie/Bass: Chuck Rainey

アルバムは全米15位

ローリング・ストーン誌のベスト・ギター・ソロの投票で、この曲が第3位に選ばれた。

Larry Carlton:1948年3月2日生。米国カリフォルニア州トーランス出身。

6歳の頃からギターを始め、ハイスクール時代にはジャズを演奏し始める。

1968年にファースト・アルバム「With a Little Help from My Friends」をリリース。

1971年から1976年までジャズ・ロック・グループ、”ザ・クルセイダーズ”に参加する。

1978年から1984年に掛けて、6枚のソロ・アルバムを制作。

1970年代は、ロサンゼルスでセッション・ミュージシャンとしても活躍し、スティーリー・ダンやジョニ・ミッチェルも含む多数のアルバムに参加している。

1997年から、リー・リトナーに代わり、”フォープレイ”に参加。

2010年 ソロ活動に従事する為、フォープレイを脱退。

※ギブソンES-335を使用していることでよく知られており、'Mr.335'という愛称で呼ばれている。
Michael Schenker/The Michael Schenker Group「Armed & Ready」
メタルが苦手な福岡ですが、これはなんとか。

アルバム『THE MICHAEL SCHENKER GROUP(神~帰ってきたフライング・アロウ)』(1980年8月発売)収録

作詞・作曲:Michael Schenker & Gary Barden/プロデュース:Roger Glover

MSGと言いつつも、この時点ではMichaelとGary以外はゲスト。

「神」という邦題は、ライターの酒井康氏の命名

Michael Schenker:1955年1月10日、ドイツ・ハノーバー生まれ

13歳にして、”CRY”というバンドでプロデビュー。

兄ルドルフのバンド、”Scorpions”に加入

1971年、Scorpions、デビュー・アルバム『LONESOME CROW(恐怖の蠍団)』リリース

1973年6月、ミック・ボルトンが失踪してリード・ギターを探していた”UFO”から誘われ加入。

UFOには1978年まで在籍し6枚のアルバムに参加。

1979年、アルコール依存症と薬物による後遺症で入退院を繰り返す。

その間、メンバーを探し、”The Michael Schenker Group”を結成する。

1984年までに4枚のスタジオ・アルバムと2枚のライヴ・アルバムを発表。

1993年、UFOの再結成に参加。1995年まで在籍。

1996年、”The Michael Schenker Group”を再始動させる。
Stevie Salas/Stevie Salas「The Harder They Come」
ファンクだけどメタリックという珍しいタイプ。

1st アルバム『COLORCODE』(1990年発売)収録

作詞・作曲:Stevie Salas/プロデュース:Bill Laswell & Stevie Salas


Stevie Salas:1964年11月17日生。米国カリフォルニア州サンディエゴ出身。ネイティヴ・アメリカンの血を引いている。

1980年代末に、ファンクやサイケデリックを強く押し出したメタリックなスタイルが注目を集め、セッション・ギタリストとして頭角を現した。

家賃が払えず、ホームレスになってレコーディング・スタジオに寝泊まりしていた22歳の時、ジョージ・クリントンに見出された。ブーツィー・コリンズ『What's Bootsy Doin'?』(1988)、ワズ(ノット・ワズ)『What Up, Dog』(1988)への参加、ロッド・スチュワートのツアーへの参加など、セッションやバック・バンドの一員としてキャリアを積む。

1990年、ソロ・アルバム『STEVIE SALAS COLORCODE』を発表

ソロ活動の傍ら、ブーツィー・コリンズ、バディ・マイルスとともに”Hardware”を結成し、アルバム『THIRD EYE OPEN』(1992)を発表、バーナード・ファウラーとともに”Nickelbag”としてアルバム『12 HITS AND A BUMP』(1995)を発表する。
Mike Bloomfield/Mike Bloomfield, Al Kooper, Steve Stills「Albert's Shuffle」
エレキ・ブルース・ギターの開拓者。この人を見てディランもエレキに転向した。

アルバム『SUPER SESSION』(1968年発売)収録

Mike Bloomfield:1943年7月28日 - 1981年2月15日。米国イリノイ州シカゴ出身。

1960年代、”ポール・バターフィールド・ブルース・バンド”に加入してリード・ギターを担当する。彼のスタイルに影響されて、多くのブルース・マンがエレキ・ギターを手にするようになったと言われる。

ボブ・ディランBob Dylanの『Highway 61 Revisited(追憶のハイウェイ61)』(1965)に参加。ディランの「エレキ化」に大きく貢献した。

1967年、バターフィールド・ブルース・バンドを脱退し、”The Electric Flag”を結成したが、1st アルバム制作後、辞めてしまう。

1968年、”Blood, Sweat & Tears”を脱退したアル・クーパーAl Kooperからジャムセッション・アルバム制作の話を持ちかけられて、アルバム『Super Session』を録音するが、ブルームフィールドは2日目のセッションに参加せず(慢性の不眠症のため)、スティーヴン・スティルスStephen Stillsが代役を務めた。

1970年代以降、ヘロイン中毒のため目立った活躍が少なくなる。

1981年2月15日、駐車場の車中で意識不明の状態で発見される。享年37歳。死因はヘロインの過剰摂取と考えられている。
Warren Haynes, Derek Trucks/The Allman Brothers Band「Heart Of Stone」
デュエイン・オールマンの再来と言われるスライド・ギターの名手デレク・トラックスと、ディッキー・ベッツよりもかなり上手(失礼!)なウォーレン・ヘインズ。この”オールマン”も強力です。

12th アルバム『HITTIN' THE NOTE』(2003年3月18日発売)収録

作詞・作曲:Mick Jagger & Keith Richards/プロデュース:Michael Barbiero & Warren Haynes

デレク・トラックスが入った最初で最後のアルバムにして、ディッキー・ベッツDickey Bettsが入らなかった最初&(今のところ)唯一のスタジオ・アルバム

Warren Haynes:1960年4月6日、米国ノースカロライナ州生まれ。

デュエイン・オールマンDuane Allmanが使っていた1958年製のギブソン・レスポールを使っている。

1987年 “Dickey Betts Band”に誘われ、加入。

1988年 グレッグ・オールマンGregg Allmanのソロ・アルバム『Just Before the Bullets Fly』に参加、タイトル曲を共作。

1989年 “The Allman Brothers Band”が再結成され、ヘインズも参加する。

1994年 ”Gov't Mule(ガヴァメント・ミュール)”を結成。

1995年 ジェリー・ガルシアJerry Garciaの死去以降、”Grateful Dead”のメンバーのサポートをよく行う。

1997年3月 ”Gov't Mule”に専念するため、“The Allman Brothers Band”を辞める。

2001年 “The Allman Brothers Band”に復帰。
Derek Trucks:1979年6月8日、フロリダ州ジャクソンヴィル生まれ。

“The Allman Brothers Band”オリジナル・メンバーのブッチ・トラックスButch Trucks(dr.)の甥。”Derek & The Dominos”にあやかって命名されたという。

9歳からギターを弾き始める。

10代前半から“The Allman Brothers Band”のライブにもゲストとして参加し、1999年には正式メンバーとして迎えられる。

一方1995年、16歳にして”Derek Trucks Band”を結成。1997年から2010年までに6枚のスタジオ・アルバムと3枚のライブ・アルバムを発表した。

妻であるブルース・シンガーのスーザン・テデスキSusan Tedeschi,も1997年から彼の音楽活動に参加している。

2010年、妻のバンドと合併及び再編成を行い、”Tedeschi Trucks Band”として再スタート。
Duane Allman, Dickey Betts/The Allman Brothers Band「Statesboro Blues」
前曲から30年逆上る。早逝の天才デュエインの絶妙なスライド・ギターと郷愁誘うディッキー・ベッツのフレーズ。ツイン・ギターの醍醐味。

3rd アルバム『AT FILLMORE EAST』(1971年7月発売)収録。

作詞・作曲:Blind Willie McTell/プロデュース:Tom Dowd

Duane Allman:1946年11月20日 - 1971年10月29日 米国テネシー州ナッシュビル出身。

幼い頃、父が強盗に殺害される。

1957年 フロリダ州デイトナビーチへ移転。

13歳の頃には弟のグレッグGreg Allmanと、チャック・ベリーの曲などを人前で演奏していた。

その頃、兄弟でナッシュビルで観たBBキングのライブに衝撃を受け、ブルースの虜になる。

※スライド演奏の際、彼は薬の空ビンを指にはめた。このスタイルは後にロリー・ギャラガーやデレク・トラックス、レーナード・スキナードのゲイリー・ロッシントンらが採り入れた。
Dickey Betts 本名:Forrest Richard Betts 1943年12月12日、米国フロリダ州ウエストパームビーチ生まれ

※自分の息子に""Duane""と名づけている。グレッグとは仲が悪い。

5歳でウクレレ、10代前半でギターを始める。

初期には1961年製のギブソン・SGを使っていたが、後にそれをデュエインに譲り、1957年製のギブソン・レスポール”Goldtop”を使い始め、このギターがディッキーの代名詞となった。
1969年3月、デュエインとグレッグの兄弟を中心に、ブッチ・トラックスButch Trucks (dr)、ジェイモーJai Johanny Johanson (Jaimoe) (dr)、ベリー・オークリーBerry Oakley (b)、ディッキー・ベッツDickey Betts (g) とともに” The Allman Brothers Band”結成。

1969年11月、1stアルバム『The Allman Brothers Band』リリース。

1971年7月、ニューヨークの「Fillmore East」でのライブを収録した『At Fillmore East』リリース。全米13位のヒットとなった。

それから間もない1971年10月29日、デュエインがメイコンにてオートバイでトラックに追突し、僅か24歳の若さで他界する。

1972年2月、レコーディング途中だったアルバム『Eat A Peach』をベッツが中心となって完成させ、リリース。

1972年11月11日、オークリーもオートバイ事故により死亡。デュアンの事故現場から僅か3ブロックの場所だった。

1973年、『Brothers And Sisters』をリリース。全米1位の大ヒットを記録、シングルカットの「Ramblin' Man」も全米2位。

1976年、バンドは解散する。

1978年、再結成。

1982年、再度解散。

1989年、再々結成。

2000年、メンバーとの対立からベッツがグループから追い出される形で脱退。
Ry Cooder/Ry Cooder & The Chicken Skin Band「The Dark End Of The Street
スライド・ギターならこの人を忘れてはいけない。心のおもむくままにダイナミックかつ繊細に描かれた一筆書きのようなギター。

アルバム『LIVE IN HAMBURG 1977』(1977年発売)収録

作詞・作曲:Dan Penn & Chips Moman(Percy Sledgeがオリジナル?)

1977年1月26日、ドイツ・ハンブルグでのライブ

Ry Cooder 本名:Ryland Peter Cooder 1947年3月15日生まれ。米国カリフォルニア州ロスアンゼルス出身。

スライド・ギターの名手。ブルース、ジャズ、R&B、フォーク、ゴスペル、テックス・メックス、ハワイアン、ラテンなど、全米各地に渦巻くルーツ音楽群を独自のやり口で再構築し続ける奇才。
4歳のとき、ナイフによる事故が原因で片目を失明、以後義眼となる。

1960年代半ばには、タジ・マハールらと組んだライジング・サンズ、キャプテン・ビーフハート、ジャッキー・デシャノン等のバンドで活動。

1969年、ローリング・ストーンズのアルバム『レット・イット・ブリード』に参加。

1970年、アルバム『Ry Cooder(ライ・クーダー・ファースト)』でソロ・デビュー。

1976年、アルバム『Chicken Skin Music』リリース

1984年、映画『パリ、テキサス』のサウンドトラック担当

1991年、ジョン・ハイアット、ジム・ケルトナー、ニック・ロウと”Little Village”を結成。

1994年、マリのブルースマン、アリ・ファルカ・トゥーレとの共作『トーキング・ティンブクトゥ』を発表。グラミー賞にて「ベスト・ワールド・ミュージック・アルバム賞」を受賞。

1996年、キューバのミュージシャンたちとアルバム『Buena Vista Social Club』をレコーディング。1997年のグラミー賞にて「ベスト・トロピカル・ラテン・パフォーマンス賞」を受賞。1999年にはヴィム・ヴェンダース監督による同名の映画も封切られた。

2009年、”Little Village”以来17年ぶりにニック・ロウと組みツアーを行う。
高中正義/高中正義「Blue Lagoon」
明るくて伸びやかな、気分をハイにしてくれるギターですね。

4th シングル(1979年6月21日発売)

5th アルバム『JOLLY JIVE』(1979年12月1日発売)収録

作曲・編曲:高中正義


高中正義:1953年3月27日、東京都品川区大井生まれ。

中国人(南京市出身)の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は雀荘。

使用ギター:特注色であるラグーンブルーのヤマハのSGが代表的。昨今は、フェンダーのストラトキャスターを主に使用している。理由は「(歳をとって)SGが重く感じるようになってきたため」

1971年7月、日比谷野音で開催された岡林信康の「狂い咲き」コンサートで”バッキングを務める。

同年8月、成毛滋とつのだ☆ひろの”ストロベリー・パス”のサポートとしてロックイベント「箱根アフロディーテ」に出演、1か月後”フライド・エッグ”と改称したバンドのベーシストに迎えられるがすぐに解散。

1971年末、加藤和彦が結成した”サディスティック・ミカ・バンド”に参加、ここからギタリストとして活躍。

1975年末、解散後、バンドのメンバーであった高橋幸宏後藤次利、今井裕らと”サディスティックス”を結成、数枚のアルバムを発表するが、メンバー各自の活動が忙しくなり、1978年自然消滅。

1976年7月1日、1stソロ・アルバム『SEYCHELLES』リリース。

1982年 横浜スタジアムを皮切りに、サンタナとのジョイントライブを行う。
Carlos Santana/SANTANA「Samba Pa Ti(君に捧げるサンバ)」
世界でもっとも雄弁なギター、だと思う。

2nd アルバム『ABRAXAS(天の守護神)』(1970年10月発売)収録

作曲:Caros Santana

アルバムは全米1位


Carlos Santana:1947年7月20日生まれ。メキシコ・ハリスコ州アウトラン・デ・ナヴァロ出身。

1962年 サンフランシスコに移住。

フィルモア・オーディトリアムで”Butterfield Blues Band”のステージを観て感激し、自らも1966年”Santana Blues Band”を結成。フィルモアに出演した際、プロデューサーのビル・グレアムから、「こういうブルース・ロックは他にも居る、もっと自分の色を出せ」と言われ、それをきっかけに、自らのルーツであるラテンに対してアプローチを始めた。

1969年、バンド名を”SANTANA”とする。

1969年8月、ウッドストック・フェスティバルに出演。同月、1st アルバム『SANTANA』リリース。全米4位・全英34位。

1970年9月、2nd アルバム『ABRAXAS(天の守護神)』リリース。全米1位・全英7位

1971年9月、3rd アルバム『SANTANA(III)』リリース。全米1位・全英6位

1972年10月、4th アルバム『CARAVANSERAI』リリース。全米8位・全英6位

以後1982年までは毎年のようにアルバム発売。

1999年6月、17th アルバム『SUPERNATURAL』発売。全米・全英1位。グラミー賞9部門独占。

2014年5月、22nd アルバム『Corazon』リリース。
Don Felder→Joe WalshEagles「Hotel California」
ソロのフレーズまですべてドン・フェルダーが考えました。彼がやめた後もこのまんま弾くのがマストです。

シングル(1977年2月発売)

5th アルバム『HOTEL CALIFORNIA』(1976年12月8日発売)収録

作詞:Don Henley & Glenn Frey/作曲:Don Felder(ギターソロのフレーズもすべて)

/プロデュース+エンジニア:Bill Szymczyk

アルバムは全米8週連続1位・全英2位・オリコン2位/グラミー賞最優秀レコード賞受賞

シングルも全米1位

バーニー・レドンBernie Leadon(g)が抜け、ジョー・ウォルシュJoe Walshが参加しての初アルバム。

Don Felder:1947年9月21日生まれ。米国フロリダ州ゲインズビル出身。

少年時代にスティーヴン・スティルスやバーニー・レドンと出会い、バンド活動を始める。

その後ロサンゼルスに移り、グレアム・ナッシュやデヴィッド・ブルーのツアー・バンドのギタリストとして活動し、アルバム『オン・ザ・ボーダー』をレコーディング中だった”Eagles”にスライドギターの演奏を依頼され、そのまま加入する。

1980年、Eagles解散。

1994年、Eaglesが再結成し、フェルダーも参加する。しかし、2000年にグレンから解雇を言い渡される。
Joe Walsh:1947年11月20日生まれ。米国カンザス州ウィチタ出身。

1969年、”James Gang”のg&voとしてデビュー、「Walk Away」などのヒット曲を出す。

1974年、ソロ・アルバム『So What』にグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナーが参加。

1975年、”Eagles”に加入。

1978年 ソロ・アルバム『But Seriously, Folks...(ロスからの蒼い風)』を発表、カットされたシングル「Life's Been Good(この人生に賭けて)」(全米12位)とともに自身最大のヒット。

1994年 Eaglesが復活して以降、バンドを中心に活躍中。
John Mayer/John Mayer「Bold As Love」
ジミヘンの曲です。ジミヘンに勝らずとも劣らず、すごいと思います。

3rd アルバム『CONTINUUM』(2006年9月12日発売)収録

作詞・作曲:Jimi Hendrix/プロデュース:John Mayer & Steve Jordan

アルバムは全米2位

John Clayton Mayer:1977年10月16日、米国コネチカット州ブリッジポート生まれ。

米Rolling Stone誌の2007年2月号ではジョン・フルシアンテ、デレク・トラックスと共に「現代の三大ギタリスト(The New Guitar Gods)」に選定された。
8歳のときに、映画「Back To The Future」で、マイケル・J・フォックスが「ジョニー・B.グッド」を演奏しているのを見て、ギターに興味を持つ。

2001年6月、アウェア・レコードから『Room For Squares』リリース。

2001年9月、売上好調につき、コロムビアから『Room For Squares』を再リリース。全米8位。

2004年、「Daughters」でグラミー賞の最優秀楽曲賞(Song of the Year)を受賞。

2009年7月、マイケル・ジャクソンの追悼式において「ヒューマン・ネイチャー」を演奏した。

2013年8月、6th アルバム『Paradise Valley』リリース
Jimi Hendrix/Jimi Hendrix「Little Wing (live)」
ギター・ソロだけでなく、珠玉の名曲。このライブ・バージョンが最高です。

ライブ・アルバム『HENDRIX IN THE WEST』(1972年1月発売)収録

作詞・作曲:Jimi Hendrix

このライブ・バージョン「Little Wing」は、LPには「the San Diego Sports Arena」での収録とクレジットされているが、実は、1969年2月24日に「the Royal Albert Hall」で収録されたもの。

このアルバムのCD版が2011年にリリースされたが、Royal Albert版「Little Wing」と「Voodoo Chile」は権利が係争中であるため、他のバージョンと差し替えられた。したがって、この音源は現在CDでは手に入らない。でもなぜか、iTunesでは配信されている。
この曲のギターはCurtis Mayfieldの影響が大きい。

1963年 Curtis Mayfieldのサポートでツアーに同行したが、Curtisのギター・プレイに他の誰からよりも大きな影響を受けたと語っている。
本名:James Marshall Hendrix 1942年11月27日 - 1970年9月18日 米国ワシントン州シアトル出身。

フェンダー・ストラキャスターを駆使して、ギターそしてロックの可能性を無限大に広げた。

特にトレモロアーム。ジミヘンはこの装置を最大限に活用して、レスポールやテレキャスターには絶対に真似のできないパフォーマンスをやってみせた。クラプトンやベックも大きな衝撃を受け、ストラト派に転向してしまったほど。

実はストラトキャスター、50年代のロックンロール勃興期に発売されたが、売れ行きが芳しくなく、一時は生産中止の話もあったとか。それを生き延びさせたのはジミヘンである。
Little Richard、Ike & Tina Turner、Isley Brothersなどのバックバンド・ギタリストとして活動したのち、アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーに見出され、1966年に渡英。”Jimi Hendrix Experience”を結成し、1967年、24歳で本格デビュー。

1969年、Experienceを解散

1970年9月 ドラッグの過剰摂取で他界。享年27歳


                        

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