【仲村瞳の歌謡界偉人名言集】#21 歌
手・淡谷のり子の言葉

作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、バンドマン、振付師、……そして、歌手。きらびやかな日本の歌謡界を支えてきた偉人たちを紹介するとともに、その方々が発したエネルギー溢れる言葉を伝えます。常軌を逸した言動の裏に、時代を牽引したパワーが隠されているのです! このコラムで、皆様の生活に少しでも艶と潤いが生まれることを願います。

だって、いつ死ぬかわからない時代にな
ったら、ちゃんとお化粧していたいじゃ
ないの。女なんだから、死に化粧はちゃ
んとしてなきゃって言ってやったわ

※戦時中、淡谷のり子は多くの戦地への慰問活動を行っていた。当時を振り返り、永六輔に語った言葉。服も配給制になろうという時代に、ロングドレスにアイシャドウ、しっかりとステージ用メイクを施していた淡谷。大日本帝国軍は、ノーメイクにモンペ姿で歌うことを強要したという。しかし淡谷は、兵士達を少しでも慰めるため、自分のスタイルで歌い続けた。“命がけでドレスを着る”という津軽のじょっぱり魂に拍手を贈りたい。
『昭和 僕の芸能私史』(知恵の森文庫/著・永六輔)より

淡谷のり子(あわやのりこ)
明治40年生まれ、青森県青森市出身。昭和5年、「久慈浜音頭」でデビュー。日中戦争が勃発した昭和12年に、「別れのブルース」が大ヒット。収録では、ブルースの情感を漂わせるために、酒と煙草でノドを潰し、ソプラノの音域をアルトに下げて歌ったという。もともとは、クラシックの基礎を学び、オペラ歌手を目指していたが、家計を支えるために流行歌を歌い、やがて、日本におけるシャンソン界の先駆者となる。「ブルースの女王」として日本歌謡史に深く刻まれている。平成11年、老衰により92歳で死去。
仲村 瞳(なかむらひとみ)
編集者・ライター。2003年、『週刊SPA!』(扶桑社)でライターデビュー後、『TOKYO1週間』(講談社)、『Hot-Dog PRESS』(講談社)などの情報誌で雑誌制作に従事する。2009年、『のせすぎ! 中野ブロードウェイ』(辰巳出版)の制作をきっかけに中野ブロードウェイ研究家として活動を開始。ゾンビ漫画『ブロードウェイ・オブ・ザ・デッド 女ンビ~童貞SOS~』(著・すぎむらしんいち/講談社)の単行本巻末記事を担当。2012年から絵馬研究本『えまにあん』(自主制作)を発行し、絵馬研究家としても活動を続ける。2014年にライフワークでもある昭和歌謡研究をテーマとした『
』を発足し会長として活動中。

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