浅井健一

浅井健一

BLANKEY JET CITYは
今音楽を作れている全ての源

1990年にBLANKEY JET CITYとして『三宅裕司のいかすバンド天国』(以下、『イカ天』)に出演し、5週連続勝ち抜いて第6代グランドイカ天キングを獲得されましたが、その後メジャーデビューが決まった時はどんなお気持ちでした?

“やったー!”と思ったよ。バイトせんでいいし、外国行けるしさ。ずっと目指してたんだもん。だから、レコード会社には何度かデモテープを送ってたんだよ。でも、全然反応がなくて、何も始まらない日々が続いていた時、達也(BLANKEY JET CITYのドラマー・中村達也)に『イカ天』に出ることを勧められたんだよ。番組自体は知ってたけど、観たことは一度もなくて。おちゃらけてるバンドが大嫌いだったから。とはいえ、番組のシステム自体はいいじゃん。無名なバンドをピックアップするっていうか、才能を発掘するという。あれがきっかけになったから、あの番組にはすごく感謝してる。

オーディション番組に対する抵抗はなかったんですか?

“嫌だ”って言ったんだけど、そう言いながらも俺が送ったのかな? まず初めに自分たちのライヴのビデオを送るんだよね。だいぶ忘れてるけど。でも、番組自体は素晴らしいと思うよ。

デビューして理想とのギャップもあったんじゃないかと思いますが。

そうだね。いきなりイギリス人のプロデューサーがついちゃったんで、あれは良くなかったと思う。あまりにも意思疎通ができてなくて…その前に自分たちでデモを日本で録ったんだけど、そっちの音のほうが好きだったんだよね。でも、イギリスまで行ってすごい高いスタジオ借りて、エンジニアにもすごい高いお金を払ってさ。自分たちがそうしたいって言ったわけではないけど、ディレクターが一生懸命考えてくれたことなんで、それはそれで感謝してるんだけどね。音が固いというか、未だにちょっと悔しいというか、自分が未熟だったと思う。かなりね。

生き生きしているのはデモのほうだったと。

何十回も同じ曲をやり続けてるとロボットみたいになってくるからさ(笑)。でも、何回も繰り返し同じことをやって、“こんなのがいいのかな?”って思いながら何も言えなかった。“何か理由があるんだろう”とかって思って頑張って不自然なことをやっていた記憶がある。

これも以前おっしゃってたことなんですけど、浅井さんにとってのBLANKEY JET CITYは“人生上、最高に楽しかった思い出”と話されていたことがあって。BLANKEY JET CITYは今のご自分にどんな影響を与えていますか?

今の自分があるのはBLANKEY JET CITYが存在してくれたからこそ。こうやって今も音楽を作れている全ての源かな? だから、良かったと思う。大事な時だったなって。

そんなBLANKEY JET CITYをはじめ、SHERBETSやAJICO、JUDEとさまざまなバンドを組んできた中で、バンドを組む上で大事にしていることって何ですか?

ときめく音楽が作れるかどうか。そういう音が出せるかっていうのが全てだね。

2016年に中尾憲太郎さん、小林 瞳さんと浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSを結成されましたが、3人で初めて音を合わせてみた時はどんな感覚がありましたか?

この3人でやったら何かが起きるって感覚はあった。それは今も変わらずにあるね。瞳ちゃんはね、お母さんがコロンビア人でラテン系の血が入ってるのでリズム…特に8ビートがすごく気持ち良くて、これは絶対やるべきだって思ったんだよね。憲太郎のベースも超気持ち良くて。

中学生の頃に初めてギターを弾いてから今に至るまで、忘れられない瞬間を挙げるとしたら何ですか?

高校の時に練習スタジオにおったおじさんに“ギターソロってどうやって作ればいいんですか?”って訊いたら、“全ては自分の耳次第だよ”って言われたこと。どこを押さえたらいいとかそういうんじゃなくて、自分が弾いていいと思ったらその音でいいんだって。“あぁ、そうか。えらい簡単なことだな”と思ったね。それからは自分の感覚で作ってた。決まり事なんてなくて、自分が“いいな”と思った音を出す、それだけのことなんだって。めちゃくちゃシンプル。だから、その感覚がなきゃ作れないってことになるけどね。

浅井さんの音楽はどこか本能的だったり、衣食住に近い感じを受けるのですが、浅井さんにとって音楽は日常の延長線上にあるものという感覚はありますか?

うん。日常の延長線上っていうのはあるね。そういうのを歌いたい。

浅井さんは音楽以外にも本や詩集も発表していて、ストーリー & ダイアリー『神様はいつも両方を作る』(2020年7月発表)も読ませていただいたのですが、実際に歌詞になっている言葉もありましたし、楽曲にも通じるものを感じました。ご自身にとっても、音楽や歌詞を作ることと、言葉で綴ることって似ている感覚はありますか?

本を書いとったほうが楽しいかな? メロディーを作るのも楽しいんだけど、それに合わせた歌詞を乗せるっていうのは苦痛も伴うんだわ。本では言葉数とか何にもとらわれてないじゃん。だから、自由に書いてると楽しいんだよね。自分で書きながら気がつくことがあって笑っちゃったりしてさ。

確かに、本の中には“今書いてて気がついたけど”という話もよく出てきますね。

そう。文章を書くのは楽しくて…でも、書く時は朝の2時間って決めてる。目覚めてからの2時間か、調子良ければ3時間くらいいけるんだけど、朝書くと面白いことが起きるんだわ。夜より朝のほうが冴えてる。だって、一日がマラソンだとすると、やっぱり始まりのほうが生き生きしてるんだよ。ゴールに近づく寝る前ってヘトヘトじゃん。ド根性でいいものが出てくることもあるけど、俺は走り始めのほうが新鮮で、それを毎日繰り返してる。

それはずっと前からそうなんですか?

10年くらい前に気がついた。それまでは夜だったね。眠いのを我慢しながら夜に必死になって向き合ってる自分がいたりさ。でも、幸運が舞い込んでくるのは、やっぱり朝なんだよね。

そんな浅井さんにとってのキーパーソンとなる人物をうがいたいのですが。

達也と照ちゃん(BLANKEY JET CITYのベーシスト・照井利幸の愛称)かな? 16歳の時に達也が名古屋の公園でライヴやってて、それを観て“やるなら、絶対にバンドだ”って思った。カッコ良かったから、あれは衝撃的だったもん。バンドしかないって決定づけさせてくれた。そのあと、二十歳くらいの時に名古屋のディスコで照ちゃんに会ったから、何だかんだ言ってふたりがキーパーソンだね。

取材:千々和香苗

浅井健一 プロフィール

アサイケンイチ:1990年~2000年までの10年間にわたるBLANKEY JET CITYとしての活動後、自主レーベル“SEXY STONES RECORDS”を拠点にバンドSHERBETS、AJICO、JUDE、PONTIACSやソロ名義で活動。音楽だけでなく詩や絵画の才能も注目を浴びており、独特なセンスで描かれた作品集を発表し個展も行なう。現在は浅井健一& THE INTERCHANGE KILLSとして活動中。浅井健一 オフィシャルHP

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