首振りDolls ナオ、横浜銀蝿 翔

首振りDolls ナオ、横浜銀蝿 翔

首振りDolls、
マンスリーインタビュー第22弾は
ナオ vs 横浜銀蝿 翔!

2020年の首振りDollsマンスリーインタビューを締め括るゲストは、横浜銀蝿のボーカル翔。日本のエンターテインメント業界に、ロックンロールを独自路線でしっかりと植え付け、“横浜銀蝿”というバンドを世の中に知らしめた重鎮だ。

1980年のデビューから、日本中を巻き込んだ“銀蝿現象”で多くの人々を魅了した横浜銀蝿。近年はそんな彼らを知る若者は少なかったかもしれないが、西森博之(小学館『少年サンデーコミックス』刊)作の伝説のツッパリ漫画『今日から俺は!!』のドラマ化&映画化によって、横浜銀蝿の弟分として1982年にデビューした嶋大輔の「男の勲章」(横浜銀蝿のギタリストJohnnyが作詞作曲)が主題歌として起用され、出演者たちが“今日俺バンド”として、キャッチーな振り付きでカヴァーしたことから大ブレークし、改めて横浜銀蝿というバンドの存在の大きさに気付かされることとなった。

今回の対談では、世代を超えて、ロックンロールを受け継ぐ者として、首振りDollsのナオが翔に横浜銀蝿の歴史を訊く。1983年、惜しまれつつわずか3年3カ月で横浜銀蝿が活動を停止したその背景には、一体どんな想いがあったのだろう? 横浜銀蝿結成40周年となる2020年、オリジナルメンバー4人による初めての再結成にかけた想いとは?
配信シングル「サボテン」2020年12月1日配信リリース
配信シングル「散り散り」2020年12月15日配信リリース
配信シングル「SMILE」2020年12月27日配信リリース

どれだけ自分たちが頑張れるか、
それだけだと思う

横浜銀蝿 翔、首振りDolls ナオ

横浜銀蝿 翔、首振りDolls ナオ

――今回は、日本のエンターテイメント業界に、ロックンロールを植え付けた重鎮、横浜銀蝿40thのボーカリスト翔さんをお迎え致しました!

翔:重鎮って(笑)!

ナオ:よろしくお願いします! お会い出来て光栄です! 自分ももちろん大興奮なんですが、翔さんと対談させて頂けることになったことを家族に言ったら、本当に驚いていて、大興奮でした! 本当に今日はどうぞよろしくお願い致します!

翔:こちらこそ、よろしくね! ナオは出身どこなの?

ナオ:北九州です!

翔:上京は?

ナオ:2019年に上京してきました!

翔:去年? 上京してきていきなりコロナ?

ナオ:そうなんです、、、。これからいくぞ! ってときに、、、。

翔:それやんなっちゃうね。でも、タイミングもあるし、頑張ってやってたら人生ってもんはなんとかなるもんだからさ。気を落とさず、何事も挫けないこと、続けることだと思うよ。本当に、自分が頑張れるか頑張れないかだけだと思うからさ。やりたいことだけ、好きにやってりゃいいって世界でもないんだよ。厳しく言ってくれる人が居てくれることや、厳しい環境を自分が乗り越えてこそ未来があるんだよ。本当にそう思うよ。どれだけ自分たちが頑張れるか、それだけだと思う。ナオたちは3ピースバンドなんだよね?

ナオ:はい。私がボーカルなんですけど、ドラムもやっていて。ドラムボーカルなんです。

翔:ドラムボーカルで、ギターとベースの3ピースかぁ。珍しい3ピースの形だね。

ナオ:そうなんです。なかなかない形で。

翔:だよな。だいたいギターかベースが歌ってるもんな(笑)。もちろんナオは世代的に横浜銀蝿をリアルタイムでは観てないもんな? 歳の差的には息子みたいなもんだろ?

ナオ:そうですね(笑)。生まれる前ですね。でも、もちろん横浜銀蝿の存在は知っております! 親世代がリアルタイムなので、それはもう翔さんと対談なんて、大騒ぎになってました!

翔:あははは。それは嬉しいね。俺らもう40年もやってるとそういう世代を超えた話も聞けるから、それはすごく嬉しいことだったりするんだよ。今の若い子なんて世代的には横浜銀蝿を知ってる訳がないんだけど、『今日から俺は!!』のドラマ化&映画化によって、そこから銀蝿を知ってくれて好きになってくれた子たちも居てね。続けてるとこんなこともあるんだなって思ったよ。『今日から俺は!!』きっかけでフェスとかに出ても、若い子たちが盛り上がってくれてね。すごく新鮮な気持ちでライヴ出来て。だいたい銀蝿のお客さんって、30代以降、40代50代60代なんだけど、最近は10代の子たちや小学生とかも振り付きで踊って盛り上がってくれてるんだよね(笑)。すごい不思議な現象に思えて。

ナオ:素敵ですね! 

翔:そうなんだよ。俺たちは昔から音楽で認められて世の中に出て来た訳じゃなかったとこがあるから。

ナオ:え? どういうことですか?

翔:俺たち、当時から音楽雑誌とか音楽媒体に取材してもらったことがあまりなかった。“ツッパリ”だとか“ぶっちぎり”だとかっていうワードと、革ジャンに白いドカンっていうあのスタイルを取り上げられることが多くて。音楽じゃなく『平凡パンチ』とか『プレイボーイ』とか『平凡』『明星』に取り上げられることが多かったからね。

――どちらかというと芸能系というくくりだったんですね。

翔:そうそう。俺たちの目的ってのは、もちろん最初は音楽が好きで始めたんだけど、いっちばん最初は、レコードを出したい、モテたい、ってところだったからね。1980年の頃って、ロックンロールという音楽をやっている人たちが、メディアに出ることを拒んでいた風潮があったんだよ。

ナオ:なるほど! 硬派に見せたいってところですね?

翔:そう。テレビなんか出て来て歌を歌うなんてチャラいこと出来ないし、みたいなね。昔は8分も10分もあるフォークソングを作って歌ってたから、テレビ用の短い尺にされて中途半端に歌うなんてことは不本意だ、的なとこがあった時代でもあったから。全部歌ってこそ作品なんだから、っていう。だから、テレビに敢えて出ないっていうのが、無骨というか、アウトローな感じだった。でも、横浜銀蝿は“モテたい! 売れたい!”で出て来たバンドだったから、一番最初のメディアは何処がいいかな? から始まってたから(笑)。メジャーな雑誌が良いよね! みたいな。それで、事務所が『プレイボーイ』の取材を取って来てくれて。でも、普通はそこで表紙巻頭とか、巻頭特集とかカラーぶち抜き何ページとかがカッコイイんだけど、敢えてそこで“モノクロページじゃなくちゃ嫌だ!”って、訳の分からない主張したりして(笑)。テレビとかも音楽番組からオファーがあったときは、とにかく全部出たい! って感じだった。もともと俺たちの曲は3分くらいで終わっちゃう歌だし、テレビサイズも何もなかったからね(笑)。

ナオ:分かります! 3分以内に収めるのが一番カッコよかったりするんですよね!

翔:そうそう。だから、テレビ用にカットされちゃうならテレビは出ません! なんて言う必要性もなくて。大歓迎だったよ、テレビ。目立つには最高のキッカケだったから。結果、『夜のヒットスタジオ』や『ザ・ベストテン』に出演した事で、お茶の間にロックンロールが広がったって感じだった。最初は、革ジャンに白のドカンっていうスタイルは抵抗もあっただろうけど、徐々にいろんなメディアに出ることによって、それが受け入れられるようになったって感じ。

ナオ:横浜銀蝿の魅力が、テレビを通してだんだん浸透していった感じだったんですね。

翔:そう。最初は、有名ラジオ番組のパーソナリティの人に、“絶対に横浜銀蝿の曲なんてかけない”って言われたりしてた。まぁ、仕方ないところもあって。当時は校内暴力や暴走族が酷い時代で、『積木くずし』とかも話題になってた頃だったから、なかなか世の中的に認めてもらえるスタイルのバンドではなかったんだよ。

monthly interview 第22弾
横浜銀蝿40th 翔 vs 首振りDolls ナオ

OKMusic編集部

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