『ジーザス・クライスト=スーパース
ター in コンサート』“上演再開”記
念公演レポート

2021年7月12日から東京・渋谷の東急シアターオーブで上演されていた『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』(再演)の東京公演は、7月21日(水)夜に、同公演の国内関係者1名が新型コロナウイルス感染症の陽性が確認されたため、7月22日(木)昼公演以降の上演が暫定的に中止となっていた。しかし、主催側と管轄の保健所の連携により必要な措置が講じられ、保健所の指導下で諸準備が整ったため、7月25日(日)13時開演回より上演が再開された。22日の中止から実に3日目にして“復活”を遂げたのだ。
ただし、再開後の7月25日(日)~最終日27日(火)の公演は、全て観客数が定員の50%以上に達しているため、「緊急事態措置 イベント開催制限」に基づき、当日券を含む新規入場券の販売はもはや行われない。一方、7月22日(木)~7月24日(土)に中止となった5公演の入場券については払い戻し対応がなされる。また、7月31日(土)・8月1日(日)には会場を大阪・フェスティバルホールに移し、全4回の大阪公演が開催される予定である(7月25日現在、前売券販売中)。
世界のミュージカルスターたちが競演する『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』が日本で最初に上演されたのは、一昨年(2019年)の10月、同じ東急シアターオーブにおいてだった。当初、4日間6ステージが予定され入場券は瞬く間に完売、さらに台風の影響で2ステージが中止となり、多くの人々が公演に接する機会を得られなかった。よって、前回から約1年9カ月の歳月を経て、十分なステージ数も用意されて“復活”を果たした今回の再演は、多くのファンに“福音”をもたらすはずだった……が、前述の事情により、今回またしても一部の人々に“受難”を強いる展開となってしまったのだ。
とはいえ、この公演、今回限りで仕舞われるとは(あくまで筆者の勘にすぎないが)とても思えない。というのも、本作が、舞台のクオリティにおいても客席の反応においても、東急シアターオーブという劇場にますますフィットし、馴染んできている印象を強く受けているからである。ゆえに、シアターオーブの名物企画とか風物詩といった風情を醸しながら、コロナ禍が落ち着いた頃、いつかまた帰ってくるのではないかと、勝手な期待を抱いている。
そもそも『ジーザス・クライスト=スーパースター(以下、JCSと略す)』自体、何度観ても聴いても飽きのこない、中毒性を覚えるほどの作品である。その理由は色々ある。“イエス・キリスト(ジーザス・クライスト)最後の7日間”という、新約聖書最大のクライマックスを題材としていること。しかも、そこにおいて、ジーザスとその周辺の人々の思惑を複眼的に絡み合わせることで、当時の社会状況や人間模様を客観的に描き出すことに成功していること。とりわけ重要なのが、ジーザスを裏切るユダの視点がフィーチャーされていることだ(太宰治の小説「駈込み訴え」と同様の構図である)。英米では物議を醸したというが、筆者のような、信仰の外側にいるような人間にとっては、本作におけるユダの現実的な批評性を伴う言動があればこそ、むしろ理解や親近感をもって、キリスト教の始原に俄然、並々ならぬ興味を抱くようになるというものだ。
とはいえ、作品の中毒性の最大の要因は、やはりなんといっても音楽に尽きる。作詞ティム・ライス、作曲アンドリュー・ロイド=ウェバーという二人の英国人が20歳代前半の若さで、これほど高い完成度を誇る作品を生み出したことは驚異的だ。軽快なナンバーから重厚なナンバーまでヴァラエティ豊かに、変拍子が多用されているのに、歌詞も旋律も全てがキャッチ―かつ記憶に残りやすい名曲揃い。まさに彼らの才能が凝縮された傑作といえる。
それなのに、創作された当時の英国演劇界には、本作をミュージカルとして上演しようと考える製作者がいなかった。やむなくライスとロイド=ウェバーは、1970年に“ロック・オペラ”のコンセプト・アルバムに仕立ててこれを発表し、好評を博した。ここが重要なポイントなのだ。ビートルズの『サージェント・ペパーズ』(1967年)以降、コンセプト・アルバムに挑むアーティストたちが増えた。その流れで、1969年にザ・フーが“ロック・オペラ”と銘打ったコンセプト・アルバム『トミー』を発表し成功を収めると、今度は“ロック・オペラ”というスタイルが注目を集めた。そこに登場したアルバムが『JCS』だったのである。そう、この作品はロック音楽のレコードとして始まったのだ。
それを裏付けるように、アルバムではジーザス役をディープ・パープルのヴォーカリストだったイアン・ギランが歌い、ハードロックの高音シャウトをこれみよがしに随所で発した。また、当時無名の新人だったイヴォンヌ・エリマンはマグダラのマリア役に抜擢され、これがきっかけで世界的な人気歌手へと躍進する。アルバム『JCS』は特にアメリカで大ヒットを飛ばし、一部の保守的なキリスト教信者からは激しい攻撃を浴びたものの、1971年には遂にブロードウェイでミュージカルとして上演されるに至る。以降、ロック・ミュージカルの金字塔として世界各国で上演が重ねられるようになった。また、1973年には映画化もされた。
日本では1973年以来、劇団四季による日本語版が専ら『JCS』の定番として認知されてきた。だが、前述のとおり、大元は“ロック・オペラ”のコンセプト・アルバムなのだから、その歌詞をオリジナル言語=英語で聴かない手もあるまい、ティム・ライスの原詞の趣をとくと味わうべき、というのが洋楽リスナーでもある筆者の持論である。だからこそ『JCS』の“in コンサート”という企画は、作品誕生から半世紀近く、日本語歌詞による通し上演しかなされてこなかった日本で、本格的な通し上演を遂にオリジナルの英語歌詞で聴くことができるという点が、このうえなく意義深いことなのである。
そんなことを念頭に置きながら、今回の『ジーザス・クライスト=スーパースター in コンサート』を振り返ってみたい。舞台未見の人には以下ネタバレとなるので、それが好ましくない人はこの後はは読まないで欲しい。しかし原作は聖書であり、作品自体も現代の古典といえるものだから、今更ネタバレを気にすることもないようにも思えるのだが……。
マイケル・K・リー (撮影:渡部孝弘)
2021年7月の某日。東急シアターオーブのステージ上には、2019年公演と同様に、大量の鉄骨が立体的な四層構造に組まれており、その中に、キーボード、ギター、ベース、金管、木管、ドラムス、パーカッションなどの演奏スペースが点在していた。また、階段や回廊もあり、やがてそこでパフォーマンスが繰り広げられることとなる。
通常、エレクトリックギターによる不穏な旋律(ユダヤ教祭司のライトモチーフ)で始まる「Overture」であるが、今回の上演ではその直前にユダのライトモチーフが微かに聴こえた(幻聴ではないと思う)。時間が経つにつれ、パフォーマーたちがステージのそこかしこから集まってくる。「Heaven on Their Minds」の躍動的なリフが流れ始めると、アンサンブル陣(その中にはSPICEの「ミュージカル・リレイヤーズ」に登場していただいた福田えりの顔なども見出せる)が客席に手拍子を求める。俄かに生まれる一体感。これで掴みはOKといったところか。ほどなくして「Superstar」の荘厳なライトモチーフと共にジーザス・クライスト(マイケル・K・リー)が人々の熱狂に迎えられながら登場する。すると、観ている我々も体内に高揚感が。ちなみにジーザスは白Tシャツに黒革パンツというカジュアルないでたちである。
「Overture」の後には、再び先ほどのリズミカルなリフが鳴り出し、ユダ(ラミン・カリムルー)による「Heaven on Their Minds」。ジーザスの使徒のひとりであるユダが、ジーザスに注意を促す歌だ。救世主気取りで浮かれていたら支配者から目を付けられるぞ、と、時おり七拍子など交えながら小言が止まらない。ジーザスの父親ヨセフのようにナザレで大工をしていれば良かったんだ、とも。そういえば、そのナザレのヨセフ役を、「イエス・キリストの生涯」というドキュメンタリードラマ(prime video等で視聴可能)の中で演じていたのが、誰あろうアナタ(カリムルー)だったことも筆者はずっと忘れていないよ、と心で呟いた。
ラミン・カリムルー (撮影:渡部孝弘)
エスカレート気味の民衆に疲労感を覚えるジーザスを香油で癒すのが元娼婦のマグダラのマリア(セリンダ・シューマッカー)だ。「Everything's Alright」を歌う彼女の声は本当に癒しに満ちていて心地がよい。しかし、ユダは「香油が高い」「商売女を近づけているのはイメージが悪い」などと相変わらず小言ばかりで、ジーザスを立腹させる。
セリンダ・シューンマッカー (撮影:渡部孝弘)
だがユダの危惧通り、ユダヤ教祭司で低音ボイスのカヤパ(宮原浩暢(LE VELVETS))と高音ボイスのアンナス(アーロン・ウォルポール)は、「Overture」で流れたギターの不穏な旋律に乗せて何やら良からぬ談義。遠くから聴こえる民衆のジーザス礼賛の合唱を聴きながら、あの男は危険だから、かつて人気を集めた預言者ヨハネ(ジーザスに洗礼を授けた。最期は少女サロメの気まぐれで処刑された)のように死なねばならない、と策を練り始める(「This Jesus Must Die」)。
一方、エルサレムにやってきたジーザス一行を、人々は「Hosanna」と歌い熱烈歓迎する。その字幕には「ヘイ、JC、あんたイケてるよ」といった翻訳文が現れるが、今回の翻訳はそれこそ「イケてる」感じが随所に出ていて好感が持てる。
民衆の人気に調子に乗った狂信的使徒のシモン(柿澤勇人)は「ここまで来たらジーザスは権力と栄光を手にすべきだ」などと主張してやまない(「Simon Zealotes/Poor Jerusalem」)。柿澤の歌にも熱心さがよく表れていて、役をよく理解していると思う。
柿澤勇人 (撮影:渡部孝弘)
……と、ここまで下手の上層のほうでずっと座っていたローマ帝国総督のピラト(ロベール・マリアン)が、妙な夢を見たと「Pilate's Dream」を唐突に歌い出す。ガリラヤ出身の男が民衆に殺されるのだが、それを自分のせいにされてしまう、という夢(これは後に正夢となる)。ちなみに、ロベール・マリアンは出身国カナダのモントリオールやパリ、ブロードウェイで『レ・ミゼラブル』のジャン・ヴァルジャンを演じた実力派で、シアターオーブには2013年『ノートルダム・ド・パリ』のフロロ司教役で来日して以来、頻繁に出演、同劇場の名物おじさん的な存在として親しまれている。今回もビブラートたっぷりの哀愁漂うマリアン節が健在だったことは誠に嬉しかった。
さて、祈祷をおこなうために神殿にやってきたジーザスは、そこで七拍子で歌いながら楽しくマーケットを開いていた商人たちを「Get out」とジーザスおなじみのハイトーン・シャウトで追い出す(「The Temple」)。その後、民衆に頼られ過ぎて疲弊するジーザスにマグダラのマリアも当惑、「I Don't Know How to Love Him」を歌う。セリンダ・シューマッカーにとって最大の聴かせどころであるが、さすがロンドンで『レミゼラブル』のファンティーヌや『オペラ座の怪人』のクリスティーヌを務めてきたことのある大物だけあって、マリアの迷いの歌ではあるものの、歌唱の中に心地よい余裕が感じられるのがよかった。シアターオーブの大きな劇場空間を包み込むようなスケールの大きさを感じさせてくれた。
セリンダ・シューンマッカー (撮影:渡部孝弘)
そうこうするうちに、ユダはユダヤ教司教たちを訪ねる。ここでユダ=カリムルーはステージ上を縦横無尽に駆け回りながら、アップテンポの「Damned for All Time/Blood Money」を早口饒舌に歌う。が、内容は言い訳ばかり。「金が欲しいわけじゃない、いやいや来たんだ」「だから俺のことを仲間を売った奴などと非難するな」「ジーザスもわかってくれるはずだ」云々。しかし、アンナスに「御託ばかり並べてないで、さっさと奴の所在を言え」と一喝され、「木曜日の夜、ゲッセマネの園」と、あっさりとジーザスを売ってしまう。銀貨30枚を報酬として与えられ最初は断るが、「これは手数料だ」と説得されて結局受け取ってしまう。「でかしたユダ」とユダのモチーフがどこからか聴こえてきて第一幕終了。
「The Last Supper」で始まる第二幕はジーザスが、ペテロ(テリー・リアン)やシモン、ユダら十二使徒たちを集めて晩餐を催す。しかし、何でもお見通しのジーザスはユダの裏切りやペテロの否認を予告、図星のユダは逆ギレして出て行ってしまう。他の者らは、主人に付き合おうともせずに眠りについてしまうので、ジーザスはただひとり、ゲッセマネの園で天に祈りながら、自身の運命について苦悩を歌う(「Gethesemane」)。劇中最大に重厚で荘厳なナンバーであり、ジーザス役マイケル・K・リーの最大の聴かせどころである。
マイケル・K・リー (撮影:渡部孝弘)
リーは韓国で上演された『JCS』でも同役を演じており、その舞台は筆者も観ている。驚異的に優れた舞台だったが、上演言語は韓国語だった。彼は今年(2021年)1月に『ニューイヤー・ミュージカル・コンサート 2021』(シアターオーブ)のために来日、そこでは「Gethesemane」を英語で披露し、全ての聴衆に超弩級の感動をもたらした。それが、今度は本格的な通し上演の中で同曲を再び味わうことができたのである。しかし、それでも決して飽きることはない。今後も彼の「Gethesemane」を聴き続けていきたいと思った。
その直後にジーザスはユダからのキスを合図に逮捕され、カヤパ、アンナスの尋問を受ける。一方、十二使徒のリーダーであるペテロは、人から「あの男と一緒にいただろう」と言われても「知らない」と否認を三度続け、マグダラのマリアに「あの方の言ったとおりだわ」と呆れられる。
その後ジーザスは、ローマ総督ピラトのもとに連れてこられるが、自ら裁きたくないピラトは、ガリラヤの領主ヘロデ王(藤岡正明)のところにジーザスを送る。だが、ヘロデ王はジーザスを小馬鹿にしたような悪態をつくばかりで、これといった処分を下すこともなく、ピラトのもとに送り返す。ここまで舞台装置の最上部のほうでずっと待機していた藤岡は、ようやく出番が来たとばかり、観客の拍手を執拗に求め、徹底的にふざけた調子で「Herod's Song」を歌い倒すのだが、それでもう彼の役目は終了なのだ。お疲れ様! その強烈な存在感はしっかり我が脳髄に焼き付いたと明言しよう。
一方、逮捕されたジーザスがひどい扱いを受けているのを気に病むユダは、自分の行いを悔いる挙句に、神は何故この役目に自分を選んだのかと恨み節を吐きながら、自殺してしまう。「哀れなユダ」「さよならユダ」とユダのモチーフが再びどこからか聴こえてくる。これは天の声、神の声なのかな、とも思える。
たらい回しにされて再び送られてきたジーザスを裁かねばならなくなったピラトは、民衆に彼の無実を説くのだが、民衆は死刑にしろと騒ぐばかり。ジーザスを鞭打ち刑に処しても民衆は納得しない。あまつさえジーザスまでピラトの気持ちを汲もうとしないものだから、ヤケクソとなって遂に磔刑を宣告してしまう(その時のマリアンのシャウトが凄まじい)。と、同時に光が輝き「Superstar」のテーマが盛大に鳴り渡る。こうして、ジーザスのスーパースター伝説がこの瞬間から誕生したことが高らかに知らしめられるのだ。死んだユダが軽やかに再登場し、アンサンブルたちと楽しそうに、「ジーザス・クライストよ、あなたは誰なのか」と陽気に歌い踊る。そのノリはまるでゴスペル(福音音楽)のよう。マーク・スチュアートの演出・ステージングがここで最高に炸裂する。
ラミン・カリムルー、他 (撮影:渡部孝弘)
しかし、次の場面では一転、磔刑にされたジーザスが神に問いかけをしながら絶命していく(「Crucifixion」)。ジーザスが十字架につけられた所には園があり、そこには、誰もまだ葬られたことのない新しい墓があった、とヨハネによる福音書19章41節には記されている。そこを今回はフルートとギターをメインに「ゲッセマネ」のライトモチーフで表現していく。(「John 19:41」)。この曲のみならず全編に渡り編曲の素晴らしさが際立っていることは強調しておきたい。
そして、この最後の場面、2019年に3階席から観覧した際にはジーザスが、照明による「或る仕掛け」の中で死んでいったように見えたのだが、1階席から観覧した今回はその「或る仕掛け」を確認することができなかった。上層階からこのコンサートを観覧する人には、是非その「或る仕掛け」を確かめていただきたいと願う。なお、聖書では、ジーザス・クライストが3日後に復活するとあるが、このロックオペラではそこまでは描かれない。しかし、このコンサート自体は、今後何度でも復活して欲しい。さすれば、何度でも足を運んでしまうことだろう。
(撮影:渡部孝弘)
文=安藤光夫(SPICE編集部)

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