森麻季に聞く~意欲的なプログラムで
“愛と平和への祈りをこめて”歌う、
ソプラノ・リサイタル 虹の彼方に

クラシック音楽の日本人歌手人気ランキングで毎年1位を獲得しているソプラノ、森麻季。透明感のある美声に揺るぎないテクニック、そして何よりも愛をこめた歌唱が人気の秘密だろう。毎年開催されるリサイタル〈~愛と平和への祈りをこめて~〉は、今年(2021年)ですでにVol.11となる。彼女の新しい面を見ることができる意欲的なプログラムが特徴で、誰でも知っているポピュラーな歌から珍しい作品まで、バラエティに富んだ曲目が並ぶ。このほど、リサイタルへの思いを彼女が語ってくれた。
⏤⏤ 昨年(2020年)のリサイタルは初めてのインターネット配信など嬉しい試みもありましたが、コロナ禍で日程の変更を余儀なくされるなど、開催までは大変なことが多かったのでは?
昨年はコロナ禍が始まって、これからどうなるのか?という不安がすごくありました。また、音楽家は皆そうだっと思うのですが、2月くらいまで演奏会ができていたのが3月にはパタっと無くなってしまい、それからの数ヶ月というものは、これから先、演奏活動がもう全くできなくなるのではないか、もしかしたら一年たっても、二年経っても、コロナが完全に収束しないと演奏会など開けないのではないか?という不安もあり、先のことを計画するにも真剣に取り組めない時期がありました。悲しみもあり、それまでとは違う日常になってしまった戸惑いもあり。
第一回目の緊急事態宣言による自粛が明けた後、最初の活動は6月の鈴木優人さんとのオンラインコンサートでした。そして8月には、バッハ・コレギウム・ジャパンの「マタイ受難曲」演奏会に参加させていただきました。それまでは自宅から、自分の拙いピアノ伴奏での歌の配信などを試みてはいましたが、ホールで歌いお客様と音楽を共有できた時にはやはり、なんて素晴らしいんだろうと喜びをかみしめました。
そんなこともあり、日程を延期して昨年9月に開催したリサイタルも、自分がお客様と一緒にいられる演奏会のありがたさを改めて感じました。シューマンの歌曲集『女の愛と生涯』も初めてのチャレンジでしたし、後半はイタリア・オペラ・アリアを歌い、私の声には重いのでオペラの役として舞台では歌えない作品も、アリアとして歌のメッセージを共感できるよう選んだものでした。一方、まだやはり会場に行くのは怖いという方もいらっしゃったので、せめてインターネットでお楽しみいただければと思い配信を実施しました。これは今年も実施する予定です(詳細は後日発表)。演奏する側としてはやはり、お客様にホールで生の音に接していただくのが嬉しいですが、配信によって色々な事情のある方にも聴いていただけるチャンスが広がるのはありがたいことです。
⏤⏤ 今年が11年目とのことですが、そもそもこのリサイタルを始められたきっかけは何だったのでしょう?
ひとつは2009年8月5日に広島の国際会議場フェニックスホールで、翌日の式典ために来日した各国の要人の方々と広島市民のために、広島交響楽団と市民合唱団との共演でフォーレ「レクイエム」を歌った時のことです。それまでにもいろいろな作曲家の「レクイエム」を歌ってきましたが、本当にレクイエムが必要な場所で、ましてや広島の方々の前で歌う。そのことに強い感銘を受けて私は泣きながら歌い、共演したバリトンの福島明也さんに「僕まで歌えなくなってしまうから」と言われてしまうくらいでした。
そして元をたどれば、2001年のアメリカの同時多発テロの時に、私がワシントンD.C.にいて《ホフマン物語》に出演した時の経験があります。9月14日が初日で、11日には本番前の総稽古(ゲネプロ)が予定されていました。私はニュースを全く知らずに劇場に行く準備をしていたら日本で事件を知った母から電話があり「大丈夫なの!?」と。NYで起こった事件らしいしけれど、念の為に劇場に電話してみたら、ちょうどその時にワシントンにあるペンタゴンも襲撃されたのです。それでリハーサルは中止となり、劇場からは「可能ならば郊外に一時避難してください」といわれました。お世話になっていた日本人の方の車に同乗して外に出てみたら、そこには信じられない光景が広がっていました。家族と犬や猫などのペット、そして荷物でいっぱいになった車がみな郊外に行こうとして大渋滞となり、普段ほとんど歩いている人がいない道路は皆が走って逃げている。街角ごとに機関銃を持って武装した人が立ち、頭上にはヘリコプターがたくさん。昨日まで平和そのものだったのにいきなり戦争が始まったみたいになっていたんです。
これではさすがにオペラは中止かと思っていたら、アメリカのすごいのはそういう事態に屈しないところです。次の日から学校も銀行も開ける。経済は絶対止めない。劇場でも予定通り公演がおこなわれることになりました。でも、ニュースでは図書館や教会などの人が集まるところにはできるだけ行かないようにと告知していたのに、劇場はまさに人が集まるところ。しかもワシントンの歌劇場はペンタゴンのすぐ近くで、ある意味シンボルでもあり、もし爆弾でも仕掛けられたら……と思うと、公演がおこなわれてもお客様はおそらく来ないのでは、と思いました。
私はもし一人でもお客様がきてくださったら、起こったばかりの悲しい事件を一時でも忘れられるように今日はがんばろう、と思ったのです。ところがフタを開けてみると、満員の入りでした。それでまずびっくりして。そして私は自動人形オランピアというコミカルな役だったのですが、お客様がすごく笑ってくださったのです。出番の第一幕終わりにはお客さんが舞台に向けてワーっと前の方に来てくださるくらい。楽屋でも無名のアジア人の私に声をかけてくださる方がたくさんいらっしゃいました。歌えるだけで幸せだと思って務めた舞台にそのような反応をいただけたことが本当にありがたくて……。音楽にはすごい力があるのだと実感した瞬間でした。それまでは歌が上手く歌えるかとか、演技を間違えないかとか、高音がちゃんと出るかとか、そういうことばかり考えながら歌っていたのが、その日はそんなことは全て吹き飛んで、お客様に少しでも楽しんでいただけたらという想いでいっぱいだったので、きっとそれがお客様に通じたのかもしれないですね。
そしてもうひとつの直接のきっかけが東日本大震災でした。このリサイタルは2011年の震災の半年後に第一回目を開催しています。まだ災害の悲しみが日本を包んでいて、私たちそれぞれが日々を必死に生きていたけれど、この一時だけは、愛する方や亡くなった方を思う、我が身のこととして考えるための時間になれば。そういう祈りをこめてリサイタルを始めたのです。プログラムも海に向かって愛する人を想う歌を取り上げたりしました。
⏤⏤ そのような経験が重なって〈〜愛と平和への祈りをこめて〜〉というシリーズが誕生したのですね。今年のプログラムを拝見すると、ポピュラーな曲から珍しい作品まで幅広い選曲がなされていますが、どのようなコンサートになりそうですか?
今年は前半は〈祈り〉を中心にしています。「アメイジング・グレイス」に始まり、「アヴェ・マリア」などいつも歌う曲もあります。それから今回は今年が周年となっている作曲家を積極的に取り上げており、例えば生誕150年のフンパーティンクの歌劇《ヘンゼルとグレーテル》から「夕べの祈り」を歌います。これは天使が自分たちを守って天国へ届けてくれる、という歌です。ツェムリンスキーも生誕100年で「トスカーナ地方の民謡によるワルツの歌」Op.6からの曲を歌います。普段あまり取り上げませんがとっても素敵な曲です。
前半最後のコルンゴルトは、20世紀の初頭に「現代のモーツァルト」と称えられた神童でしたが、その後ナチスの台頭でアメリカに行き、映画音楽などを書かざるを得なかった時代を経て、ヨーロッパ音楽界に戻ってきた時には美しい旋律に満ちた作風がもう評価されなかった、という運命を辿った作曲家です。《死の都》もアリアは有名な歌手が歌うこともありますが、オペラ全曲はなかなか取り上げられません。お話は死んでしまった妻を忘れられない主人公が、彼女が蘇ってくるのをずっと信じている、という内容なんです。
後半はロシアの作曲家が多めです。グリエールは初めてですがコロラトゥーラ・ソプラノのためのとても素敵な曲でぜひ歌ってみたいなと。ロシアの作曲家は他にラフマニノフのヴォカリーズ、そして最後のストラヴィンスキー《放蕩児の遍歴》より「トムからは何の便りもない」。この曲も和声が独特で、とてもかっこいい曲です。そして『オズの魔法使い』から「虹の彼方へ」。みなさんもうご存知の曲ですが、メロディが美しく歌詞がとてもいいですし、そういう意味でちょっとホッとしていただく曲になったらと思っています。
⏤⏤ 今回のリサイタルは〈虹の彼方に〉というタイトルがついていますね。
そうです。このアーレン作曲の「虹の彼方に」を歌うということと、ポピュラーな曲から珍しい曲まで、悲しい曲もあればすごく明るい作品もあり、さまざまな色を楽しんでいただけるかなという意味を重ねています。
⏤⏤ ピアノの山岸茂人さんとは長年共演なさっています。新しい曲を取り上げる時には、お二人の間には打ち合わせというか、演奏スタイルについての話し合いなどはありますか?
山岸さんはもう本当に天才なんです。私が少し歌えば、こういう風にくるだろうなというのを瞬時に察してくださるので、言葉はほぼいらないくらいです。
⏤⏤ お二人の音楽で様々な音楽の〈色〉が味わえそうです。森さんはFacebookやインスタグラムなどのSNSでもご自身の演奏や、身の回りのことを投稿してくださっていますが、そこで拝見している日々の暮らしや音楽への姿勢が一貫して大きな愛情を感じさせるように思います。それが音楽への愛であり、聴いている私たちへの愛でもあるのかなと。
そう感じていただけたら嬉しいです。私こそコロナ禍がありホールで演奏できるということ、お客様といろいろな思いを分かち合えることのありがたさを今まで以上に感じています。みなさんが普段それぞれ忙しい毎日の中で、なかなか平和を思う時間もとれないと思いますが、今年も熱海市の災害がありましたように私たちが生きている日常は決して当たり前のことではないと思うんです。このリサイタルで聴いていただく曲は、それぞれ違った内容で前向きになれる歌詞も多く、歌の持つ祈りの力をお伝えできたら嬉しいです。
⏤⏤ 今日はどうもありがとうございました。素晴らしいリサイタルになるようお祈りします。
取材・文=井内美香  写真撮影=長澤直子

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