『オワリカラ・タカハシヒョウリのサ
ブカル風来坊!!』風来坊 知の巨人
に出会う 『妖怪大戦争 ガーディアン
ズ』製作総指揮 荒俣宏インタビュー

ロックバンド『オワリカラ』のタカハシヒョウリによる連載企画『オワリカラ・タカハシヒョウリのサブカル風来坊!!』。毎回タカハシ氏が風来坊のごとく、サブカルにまつわる様々な場所へ行き、人に会っていきます。
28回目の今回は特別編!『妖怪大戦争 ガーディアンズ』の製作総指揮を務める、荒俣宏先生にお話を伺った。

風来坊、本物に出会う。
どうも、タカハシヒョウリです。不定期連載として、ここSPICEで長いこと続けさせてもらっている「タカハシヒョウリのサブカル風来坊!!」。最近は、「サブカル」という言葉も迷走していて、そんな時代に「サブカルチャーの役割って何だ?」と考えることも少なくない昨今。
そんな中、今回はスペシャル企画として、日本の「サブカルチャー」を作り、支えてきた、もはや伝説的と言っても良い「あのお方」を訪ねる機会に恵まれました。
日本の博物学者、小説家、妖怪評論家、タレント……、様々な顔を持つ作家の荒俣宏先生です。荒俣先生は、現在公開中の『妖怪大戦争 ガーディアンズ』の製作総指揮も担当、令和の世に妖怪たちを放ったばかり。
今回は、『妖怪大戦争 ガーディアンズ』を通しての妖怪論、そしてカルチャー論まで、知識から知識へとジャンプを繰り返す、めくるめく荒俣ワールドの旅の記録をお届けします。きっとあなたの中に眠る「忘れていた好奇心」も、呼び覚まされるはず。
(c) 2021『妖怪大戦争』ガーディアンズ
■日本古来の妖怪との関わり方の基本線が、ここでふたたび出てきた
タカハシヒョウリ(以下、ヒョウリ ):荒俣先生、本日はよろしくお願いします。今現在、混沌とした状況が続いている中で、妖怪たちが映画という形で我々の前に姿を現しちゃうわけですが、令和という時代に妖怪たちはどんなメッセージを持って現れるのか、荒俣先生のお考えをお聞かせください。
荒俣宏先生(以下、荒俣):それは…、「なりゆき」ですね!
ヒョウリ :なりゆき!
荒俣:『妖怪大戦争 ガーディアンズ』は、3年くらい前から構想を練っていたので、まさか令和がこんな状況になるとは予想もしていませんでした。令和になって世界は一気に歳をとってしまったので、まだ令和を知らない、楽しくて幸せな頃からは予想もできないことでした。
でもこの映画は、3年くらい前から博物館(角川武蔵野ミュージアム)と一緒に作ってきたので、「3年は持つ映画」にしようと、3部作を作れるくらいのアイデアを用意して臨みました。
ヒョウリ :この3年で、妖怪のような「目に見えないもの」に対する接し方というのは、かなり変わってきたとも思うのですが。
荒俣:変わらざるを得なかったんじゃないでしょうか。
コロナが来たことによって、人間が古代以来ずっと付き合ってきた「目に見えないもの」の存在感っていうのが身に染みたんじゃないかな。それで、同じ見えない存在の妖怪も思い出された。コロナが起こる前にも、妖怪のブームはあったけれど、それは言ってみればオモチャとしてのブームだったんですよ。
でも、今はオモチャを乗り越えて、神棚に飾る神様のような存在になったんじゃないかと思います。
いろんな下手な説明をするよりも、このコロナっていうのが一番、「ひょっとすると妖怪っていうのは、こういう状況に必要な存在なんじゃないか」という実感をくれたんですね。
アマビエ様もそうだけど、目に見えない力の怖さが分かった。そういう目に見えない怖さと、どう対決するのか。「最後は神頼み、お札貼るしかないね」じゃないですけど、簡単に言えば、接待をして、お土産を渡して、お帰りいただくのをひたすら待つ。そういう意味では、舞台が出来上がって、そこに『妖怪大戦争 ガーディアンズ』がやって来たような、不思議な縁も感じます。
(c) 2021『妖怪大戦争』ガーディアンズ
ヒョウリ :なるほど、ある種の壮大な原点回帰のように感じますね。映画には、今回も多種多様な妖怪たちが登場しますが、重要な役割に狐と狸が配されています。オーソドックスな存在ですが、大きく扱われるのが逆に新鮮に感じました。
荒俣:狐と狸っていうのは、妖怪界でも古くから一番なじみがありましたが、身近すぎて端役にしか過ぎなかったものなんですが、今回は主役にしたんです。
どうも、妖怪には、許される妖怪と、許されない妖怪があったみたいなんです。許される妖怪は、人間にとっても有益か、あるいは実害の少ない存在で、その代表が、狐と狸だったんです。狐と狸っていうのは、許される妖怪の最後の砦で、正体は狐と狸ってことにすれば、大体のことは「仕方ないよね」とお目こぼしになったんですね。動物の妖怪はどこかに救いがある。オオカミだって山に迷った人を案内してくれた。だから「送りオオカミ」は許容された。人間の送りオオカミは有害ですけどね(笑)。
ヒョウリ :妖怪界の治外法権ですね…!
荒俣:はい。むかし大映の社長だった永田雅一という映画人がいましたね。撮影所の所長をやっていたんですが、戦時になると楽しい映画は何もかも禁止されるわけです。特に、女性が楽しく踊りを踊ったり、足を上げたりするような、ワクワクドキドキするような映画っていうのは作らせてもらえなかった。
ところが、永田雅一は「それじゃあ、化けた狸だということにすれば許されるんじゃないか」と狸の映画を作ったんです。狸にすれば、何をやっても許される一つの言い訳みたいなものなんですね。その証拠に、戦時中から戦後に唯一作られたミュージカル映画は狸ものでした。つまり、妖怪映画って戦争中には生きる喜びを思い出させてくれて、戦後にはファンタジーの楽しい夢という形で戦後日本の立て直しの起爆剤になった。これが妖怪の役割だったんですね。それが延長されると、水木しげるが子供たちに向けて作った、学校なんか行かなくて良い、毎日遊んでいても良いという妖怪の世界に繋がっていくんですね。
ヒョウリ :もう一つ、大きなトピックとして55年ぶりに大魔神がスクリーンに復活した、というのがあります。荒俣先生は、この大魔神という存在を復活させるのに、どんな意味合いを持たせたのでしょうか。荒俣先生から見た大魔神は、どんな存在ですか。
(c) 2021『妖怪大戦争』ガーディアンズ
荒俣:今回、博物館では過去の大映映画の上映などもやっていまして、狸合戦物は無理だけど昭和40年代の妖怪三部作をはじめ色々と見返したわけですが、その中で一番仰天したのが『大魔神』でした。『妖怪大戦争 ガーディアンズ』は、大映に繋がる映画ですから、大魔神を登場させることはサプライズとして非常に重要な役割を持っているんですが、物語の世界観を見直していく上でも大きな意味があると分かったんです。
大魔神って、当時作っていた方も、見ていた方も、まるで気づかなかった大きな特色があったと思うんですよ。簡単に言うと、妖怪の本筋から外れた存在なんです。まず時代が違う。古墳のはにわですから、弥生時代の後ですよ。それまでメインは江戸の妖怪だったし、酒呑童子のような京都的な妖怪の時代でもなかった。大魔神はそれよりもっと前の古墳時代、妖怪というくくりのもっと前の時代から引っ張り出しているんです。
なので、妖怪の原点を探るような、考古学的には妖怪の骨を掘り起こしたような存在。あの時代、江戸系の妖怪に混じって大魔神のような古代系を取り上げた点に画期的な意味があったんだということがわかりました。妖怪における縄文時代に発見みたいなものでしょう。そこで妖怪のスコープが広がった。
日本のもっとも古い文献、古事記や日本書紀の類には、妖怪的な存在として関東の平地に巨大なダイダラボッチが出てきます。これはまちがいなく縄文の妖怪だったと思います。その証拠に、ダイダラボッチが海の貝を食べた跡が山の中に残っていて、それが今いうところの貝塚なんですよ。武蔵野はじつは超古代が文化のピークだった。明治に入って、エドワード・モース(アメリカの動物学者)という人が、品川のあたりで鉄道工事現場から貝がザクザク出てくるのを見て、貝塚を発見しました。
当然ですよ、武蔵野は貝塚だらけ、ダイダラボッチの土地だったんだから。古事記の時代には貝塚という名前は持たなかったけど、当時の人たちはそれを妖怪ダイダラボッチが貝を食べた跡だと処理したんですね。人間とは異なる巨大な精霊たちが国造りしたことを認識していたんです。
大体、世界中どこの神話にも巨人というのが出てきます。国を作ってくれた巨大な存在、というのがその頃の妖怪のイメージだったんですね。そこからさらに時代が進んで、古墳時代になると大魔神になるわけですよ。ただ、面白いことに、妖怪がだんだん小さくなっていくんですね。元をたどれば巨大な人、大人(おおひと)なんです。
ヒョウリ :な、なるほど……(※永久に知識が止まらない荒俣先生に圧倒されるタカハシ)
(c) 2021『妖怪大戦争』ガーディアンズ
■成功した人もいるんだけど、失敗したんだけどすごかった人もいたんじゃないか
ヒョウリ :つづいて、今回の映画に登場する「妖怪獣」。これは、フォッサマグナに眠る生物の化石たちの思念が集合して誕生しました。前作『妖怪大戦争』(2005)でも、捨てられた物たちの怨念がテーマですし、『帝都物語』(1985、映画化は1988)の魔人・加藤も歴史の闇に葬られた存在ですね。そうした、隅に追いやられ、忘れ去られたもの、疎外されてきたものたちが、問題提起してくるというのが常に荒俣先生の作品のテーマでもあると思っているのですが、
そういった存在に対する荒俣先生の思い入れは、どこにあるのでしょうか?
荒俣:「妖怪獣」は、怨念の集大成じゃないかと思うんだよね。だって、海の底にいた海生生物が、地殻変動で千メートル以上の山の上に持ち上げられてしまったんですからね。絶滅した命のシンボルです。僕は、妖怪だけでなく、世の中に認められなかったけれども、すごいことをやろうとした人、一般に理解されなくて失敗して闇に消えたという人が大好きなんですよ。
僕が中学3年から師事した師匠に、平井呈一という小泉八雲の翻訳をした先生がいたんですけど、この先生はまさにそういう存在でした。先生は、戦前に永井荷風に弟子入りして、原稿の清書なんかのアルバイトをやっていたんですが、生業も無いのに子供がたくさんいて、お金が無くて永井荷風の偽書を作ったりしていたんですね。
それに永井荷風が怒りまして、文壇に回覧状を回して、中央の文壇では使えなくしてしまった。そのために、すごい実力はあったけれど、ずーっと世に出なかったんです。私が弟子になった時には、そんなことは一言も言いませんでしたが、節々にルサンチマンみたいなものを感じたんですね。その時に、世の中ってふた通りあって、成功した人もいるんだけど、失敗したんだけどすごかった人もいたんじゃないかと思うようになったんです。
ヒョウリ :メインストリームには現れなかった、まさに忘れ去られた人たちですね。
荒俣:だから私は、かなり初期から「捨てられたもの」に対する愛が強かったんです。奇人変人は、大体捨てられた人たちなので、そういう人たちに焦点を当てた探究を必然的にするようになりました。
さらに、僕らは「団塊の世代」でしたから、人間がたくさんいて、競争も激しかったんですね。だから、「勝ち組」になることが目標でした。ただ、今の子供たちとちょっと違うのは、そもそも日本が負けた直後だったというのもあって「負け組」でもいいじゃないか、と意地を張って頑張ったんです。
どう頑張ったかというと、天邪鬼になって「NO」と言われたものを「YES」にひっくり返せば、それは歩が角になるように、新しい大きな力になるんじゃないかということです。それで、誰にも認められないようなことをあちこちでせっせとやった。「今に見ていろ」というようなところがあって、自分の信念に則して自分がすごいと思うことをやった。それが、今のオタクと違うところですよ。
だから捨てられた物を再発掘する、考古学で言えば「穴掘り作業」を気づかないうちにやっていて、それが我々の世代のベースにあったんです。
それと、「負け組」だから、もう捨てるものが無かった。モテるとか、そういう普通の幸せは無くなっちゃったわけだから。だとすると、なんでも出来るんですね。モテる努力の代わりに、埋もれた物を掘り出す。エネルギーの総量としては同じくらいじゃないですか。ホルモンの叫びに従順になるか、反逆精神に従順になるという違いだけです。
荒俣先生自ら演じる雨降小僧 (c) 2021『妖怪大戦争』ガーディアンズ
ヒョウリ :最後に、このお話をもう少しお聞きしてみたいんですが、今現在のオタク的消費というのは大きな影響力がありますよね。本来サブカルチャー=勝ち組でない文化であったオタク的消費の中にも、「勝ち組」と「負け組」が存在するようになったんだと思います。荒俣先生から見て、そういった現在のオタク的な存在は、どのような印象でしょうか。
荒俣:今はオタクの数がすごく増えたから、大集団になった。オタク内での経済とか、オタク内での情報のやりとりとか、オタクだけで一つの世界図を作れますよね。我々は逆に少数派であり、まったく無視し、拒絶する人と対決をしたんです。同感してくれる人も少しはいたけど、そういうのは問題じゃないんですよね。先生や両親に始まり、お国の文化政策まで、その全てを相手にしないといけなかった。孤独で、馬鹿馬鹿しいことですよ。ある意味で、新撰組が幕末でやったようなことです。その精神は、「いいね」の仲間を増やすんじゃなくて、死ぬのを覚悟で孤独も覚悟で好きなことをやり抜く決心を固めなければいけなかったということなんです。そこが大きく違うと思います。
たとえば漫画だって、あの頃は悪書ですから。漫画を燃やした学校もありましたからね、日本の歴史上そういうケースってほとんど無いんじゃないですか。本を燃やすって言うのは、文化の絶滅を期するってことですからね。僕は、漫画家になりたかったくらい漫画が好きでしたから、学校にも持っていけないようなことをやろうとしてるんだと思いました。今の子供たちだったらそこで黙ってしまうかもしれないけど、僕らは捨てる物なんかなかったんですね。優雅に趣味をやれる人なんて、ほとんどいなかったんです。だから、どんな馬鹿馬鹿しいことでも、やるなら命懸けだった。何かを得ようとするなら、何かを犠牲にしないといけない。
今のオタクと比べるとしたら、形式や行動様式としては似ていても、根底にあるものはだいぶ違うんじゃないかと思いますね。

というわけで荒俣宏先生との『妖怪大戦争 ガーディアンズ』談義、いかがだっただろうか。
知から知へ、奇から奇へ、ボソンジャンプを繰り返すこの時間が、1時間にも満たなかったなんて信じられない!「魔導師」や「召喚」といった言葉を作った荒俣先生だから、何か魔法でも使ったのでは……と疑ってしまう濃密さ。
そして、荒俣先生が語ってくれた、「勝ち組」ではないからこその、価値観をひっくり返す天邪鬼の思考、陽の当たらぬ者たちへの視点、その全てが力強く「サブカルチャー」の存在意義を謳ってくれた。
まさに今この時代に公開される「サブカル風来坊!!」の特別編に、ふさわしい回にしていただいたんじゃないかと思う。
荒俣宏先生、本当にありがとうございました!

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