劇作家・別役実の幻の第一作を展示し
た早稲田大学演劇博物館が、オンライ
ン企画で柄本明による朗読や平田オリ
ザによる談話を配信

早稲田大学演劇博物館では2021年6月3日(木)から8月6日(金)まで、特別展「別役実のつくりかた―幻の処女戯曲からそよそよ族へ」が開催され、大好評のうちに幕を閉じた。
本展は昨年3月に逝去した別役実が、劇作家として地歩を固めるまでの軌跡を、新資料からたどるものとなった。本稿ではサミュエル・ベケットの研究者として知られる早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の岡室美奈子館長による解説をもとに、展示の内容と、つくられて半世紀経った今も困難な時代において「社会を映す鏡」として機能する、別役実の劇作の力を振り返った。
ゲストキュレーターに、60年代演劇を専門とする近畿大学准教授・梅山いつきを迎えた今回の展示は、演劇博物館の「演劇映像学連携研究拠点」所属の研究チームによる成果発表の場でもあった。
<別役実とは>
1937年満州生まれ。1958年に早稲田大学政治経済学部に入学し、劇団自由舞台に入部した。そこで演出家の鈴木忠志らと出会い、早稲田小劇場を旗揚げ。初期にベケットの不条理劇の構造を日本の現代演劇に移した。裸舞台に近いミニマルな装置で舞台空間をつくり、日常生活に突如現れる不条理と同時代の社会を描いた。初期の代表作『象』や、岸田戯曲賞受賞作『マッチ売りの少女』、『赤い鳥のいる風景』をはじめとする、ナンセンスで独特のユーモアに溢れる140以上の戯曲を残した。別役実の不条理劇は、岩松了や平田オリザ、岡田利規、藤田貴大など、今の日本を代表する劇作家たちに多大な影響を与えている。

(c)小林洋

岡室美奈子館長。会場のフォトスポットであったベンチにて

新資料発見の経緯
本展開催の背景には、初期作に関する貴重な新資料を含む、膨大な数の資料が演劇博物館に寄贈されたことがあった。
「別役さんがご存命中だった2019年と、亡くなられた2020年3月の2度にわたり、(別役実の長女である)べつやくれいさんからたくさんの資料を寄贈していただきました。その中には、未上演で戯曲の所在も不明だった幻の処女戯曲『ホクロ・ソーセーヂ』や、初期の傑作『象』の元になった草稿『アカイツキ』など、劇作家としての作風やドラマツルギーを確立するまでの軌跡が明らかになる、貴重な資料が含まれていました」(岡室美奈子館長 以下同)
さらにこれまで知られていなかった小中高時代の文集も発見され、本展で公開された。小学校時代の作文や、多感な高校時代を想像させる詩集、演劇と出会った早稲田大学自由舞台時代の自筆ノートなどから、少年から大人へと成長しやがて劇作家となる、別役のことばの遍歴を追っていった。
創作ノート

新発見資料1「ホクロ・ソーセーヂ」
本展最大の見どころの一つとなった「ホクロ・ソーセーヂ」だが、発見された資料は1点ではなく、4点も見つかっている。原稿用紙に書かれたものもあれば、ノートに書きつけられたものもあった。
「ホクロ・ソーセーヂ」のあらすじはこうだ。アパート「もみじ荘」の中では、住人で肉屋の平尾源八が妻を殺して切り刻み、ソーセージにしたという噂話が広まっている。噂の真相を確かめようと、住人の一人である正三がソーセージを買ってきて切り刻んでみると、源八の妻にあったホクロが出てきた。しかしなぜかアパートの住民は、源八を迫害したとして「街」の人々から追い詰められていく。
「結局、問題の肉屋の源八は物語には出てきません。一見するとスウィーニー・トッドのようなサスペンスフルな話ですが、肉屋が妻を殺害した証拠が見つかっても、『街』からの糾弾は終わらない。アパートの住民は、街の人たちに取り囲まれていきます。こうした得体の知れない不条理な状況は、他の作品でも繰り返し描かれていくことになります」
「『ホクロ・ソーセーヂ』は発表されていないので、別役さんとしては気に入らなかった作品なのかもしれないですけど……」と岡室館長は苦笑する。だが、4点の「ホクロ・ソーセーヂ」の草稿の変遷を追うことで、別役が「近代のリアリズム」からの脱却を目指し新しい表現を模索しながら、「不条理」を生み落とすまでのプロセスをかなり推測できたのだという。
本展開催を記念して刊行された図録『別役実のつくりかた――幻の処女戯曲からそよそよ族へ』には、最終稿と思われる『ホクロ・ソーセーヂ』全文と、近畿大学准教授の梅山いつきによる『ホクロ・ソーセーヂ』の詳しい解題が掲載されている。
幻の処女戯曲「ホクロ・ソーセーヂ」草稿

新発見資料2「アカイツキ」
「これまでどのようにして『象』が書き上げられたのか、全くわからなかったのですが、新資料『アカイツキ』によって、戯曲を書き始めた頃の別役さんが、試行錯誤をしながらあの傑作を書き上げた経緯がよくわかりました」
ひっそりと生きたい被爆者の男と、かつてケロイドを見せ物にしていたその男の叔父を対照的に描いた初期の傑作『象』。この作品の元になった散文「アカイツキ」にも、数種類の散文の他、メモなどの関連資料が数多く見つかった。
「『象』には、『アカイツキ』と叫びながら走ってくる小男のイメージと、叔父の部屋の行き方を尋ねた男に看護婦がささやいて教える悪夢的なシーンがあります。別役さんはその二つのイメージを初めに思いつき、繰り返し書いていますが、なかなか具体的な物語の造形へと進めなかったようです。今回見つかった多くの資料の中には、突破口になったと思われる草稿も含まれています」
サミュエル・ベケットの演劇『ゴドーを待ちながら』がフランスで初演されたのが1953年。資料を読み解いていくと、別役がベケットの研究と並行して、「アカイツキ」のイメージを『象』という作品に落とし込んでいった道筋が見えてくるという。
「安堂信也先生が『ゴドーを待ちながら』を翻訳したのが1956年です。その後に、安藤先生と高橋(康也)先生の共訳が出ていますが、かなり早い段階からベケットに関心を持っていた別役さんは、安藤先生の単訳を読んでいたと思われます。そういった研究から不条理劇の手法を学び取り、『アカイツキ』のイメージを不条理劇に落とし込んでいったのではないかと推察しています」

岡室館長による「アカイツキ」が『象』へ至った道筋の解題は、同展の図録に詳しい。
「そよそよ族」への系譜と、貧困への関心
本展では、いまだ新型コロナウイルスの困難から脱却できない社会状況を受け、別役の「我慢の美学」がより濃く表れたシリーズ「そよそよ族」にも注目している。「そよそよ族」とは、別役が創作した古代の失語症民族で、空腹であってもそれを主張せず、餓死してみせることで訴える沈黙の民だ。1971年に戯曲『そよそよ族の叛乱』を書いた後、その一族の架空の歴史を詳細に構築し、壮大な伝説として童話の中で描いた。
『そよそよ族伝説』「おおうみの図」 別役実画(推定)
岡室館長は「そよそよ族」には、別役の貧困者や弱者に対する眼差しも感じられると言う。
「初期から70年代の初め頃まで別役さんは比較的、抽象度の高い物語を書いていましたが、70年代後半以降は、『小市民もの』と呼ばれる作品を書くようになります。70年代初めに登場した『そよそよ族』は、実は小市民に形を変えて、その後の作品でも描かれていったのではないかと思います。
別役さんは、人びとに餓死せよと言いたいわけではないんです。不幸せや貧困を声高に訴えるのではなく、無言で社会に抵抗の姿勢を見せることで社会構造自体の問題を訴えていく。それが、別役さんの美学でした。満州時代は割と豊かな生活をしていたものの、引き揚げ後に長野に落ち着くと経済的に厳しい時代を送っています。ですがそれを口にすることはなかったようです。」
その美学は同情を拒絶し、毅然とした態度を見せる「そよそよ族」のあり方にも通じている。
「たとえば、今の格差社会で起こる犯罪は、社会から虐げられた人たちの抵抗かもしれません。別役さんには、そんな社会において『いかに我慢して犯罪を犯さないか』という美学がありました。『そよそよ族』は太古の民族ですが、『今の東京にもいる』という記述もあります。東京には社会の格差や貧困を強いられた人たちが多くいて、別役さんはそういった人たちを演劇によっていかに救い出すか、ということを考えていたのだと思います」
新型コロナウイルス感染の流行が続いたことで不安が蔓延し、社会の歪みが露呈した今の時代だからこそ、別役の演劇が必要とされると岡室館長は提言する。
「今、我慢の美学は流行らないでしょう。ですが困難な状況の中で、ある種の我慢に似た、折り目正しい生活をしていくことが、今の私達にとても有効な手段であることを、展示資料からも感じ取ってほしいですね」

会場には、これまで刊行された別役の書籍や原稿、台本、ポスター等が所狭しに並んでいた
ウイルスの感染拡大を予見したような作品
本展では、今の世界的パンデミックを予見したような作品『街と飛行船』(1970年)に関する展示のセクションも設けられていた。『街と飛行船』では伝染病が流行し都市封鎖された、とある街が舞台となっている。謎の飛行船が浮かんでいて、人々はそれを消毒薬が詰め込まれた救済だと信じ、お祭り騒ぎの中で砲弾を撃った。だが、飛行船から降り注いだ白い粉は人々を死に至らしめてしまう。こうしたお祭り騒ぎに浮かれる様子は、先日閉幕したオリンピックにも重なって見えると言う。
「今の私たちには、寓話的な飛行船がとてもリアルに感じられるでしょう。みな、自粛生活に疲れたらお祭りを求めてしまう。結果的に感染が爆発的に拡大している今の状況に似ています」
岡室館長はこうした非常事態が日常化していく状況の中で、感染拡大を抑えるために、いかに折目正しい生活を続けていくかを問う作品でもあると語った。
世界的パンデミックを予見したような作品『街と飛行船』(1970年)ポスター

別役さんの生の感情が垣間見える
さらに、新資料である書簡、日記、ノートなどから「飄々とした語り口の別役さんからは想像し難い、生の感情が垣間見えた」と、岡室館長は話す。
「少年期から青年期の資料には、別役さんの内面の吐露が書きつけられています。また不条理劇の創作方法を見つける過程で、生々しい感情を抑制しながら、日常的な言葉を紡ぎ、現代社会の不条理を構造的に描くようになっていくプロセスも、具体的に考察することができました。別役実という劇作家の作品が抽象的な思考の産物ではなく、自分の経験や感情に根ざしたものであることが分かるものです。
別役さんに私が最後にお目にかかったとき、『これから不条理な事件はもっともっと増えていきますよ。だから演劇をもっとやんなきゃいけないんだ』とおっしゃっていました。『演劇はやるだけでいいんだ』、と。やはり別役さんには演劇を通して、社会に訴えかけていきたいものがたくさんあったのだと思います」
岡室館長はこのとき、社会にとって別役実のような表現の術を持つ人の存在の重要性を改めて実感したと、振り返るように語った。
初披露となる豊富な資料群で劇作家・別役実の軌跡をたどった
なお展覧会は閉幕したが、数々の別役作品を演出し、自らも出演してきた柄本明による、戯曲「ホクロ・ソーセーヂ」(前半部分)の朗読と柄本へのインタビュー動画、また、別役と親交のあった平田オリザを迎えたトーク動画をオンラインで公開することが、8月31日(火)に演劇博物館の公式ホームページで発表された。前者の動画では柄本が別役との思い出なども語っており、後者では、梅山いつき(近畿大学准教授)と岡室館長が聞き手となり、別役との出会いや「ホクロ・ソーセーヂ」の話題を中心にトークを展開し、別役作品の魅力に迫る。
ファン垂涎の企画に期待したい。
別役の言葉が並んだボードと、幻の戯曲「ホクロ・ソーセーヂ」
取材・文=石水典子

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