ミュージカル界噂の超スパルタ筋トレ
部顧問 花岡麻里名インタビュー /『
ミュージカル・リレイヤーズ』file.
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「人」にフォーカスし、ミュージカル界の名バイプレイヤーや未来のスター(Star-To-Be)たち、一人ひとりの素顔の魅力に迫るSPICEの連載企画『ミュージカル・リレイヤーズ』(Musical Relayers)。「ミュージカルを継ぎ、繋ぐ者たち」という意を冠する本シリーズでは、各回、最後に「注目の人」を紹介いただきバトンを繋いでいきます。連載第八回は、前回、後藤晋彦さん最推し、「ダンサーという枠に囚われず、全てを吸収しようとしている尊敬できる人」と紹介してくれた花岡麻里名(はなおか・まりな)さんにご登場いただきます。(編集部)

「舞台での活動は、私にとって全て通過点なんです」
これまで多くの舞台役者にインタビューしてきたが、この言葉を聞いたのは初めてだった。
初演、再演と『ドン・ジュアン』に出演し、2022年春には『メリー・ポピンズ』の出演を控える花岡麻里名。ミュージカル界隈では筋トレ部の先生としても名が知られている。
初舞台の『オン・ザ・タウン』、憧れの劇団四季の『アラジン』、思い出の『ダンス・オブ・ヴァンパイア』、ターニングポイントとなった『マタ・ハリ』……彼女がこれらを“通過点”だと明言する意味が、このインタビューを通してわかるだろう。
ダンス、研究、ウエディングクイーン、ミス日本……多様な経験から生まれた気付きの数々
――まずはミュージカルとの出会いを教えてください。
実は私、ミュージカルには全然興味がない子どもだったんです。友達がミュージカル好きだと聞いて「あれのどこがいいの? 急に歌い出すじゃん」みたいな話をしていたくらい(笑)。関西に住んでいたのですが、宝塚もなんとなく存在を知っている程度でした。小学生の頃にバトントワリングのチームに所属し、かなり本格的に取り組んでいたんです。でもあるとき、家の都合で辞めることになってしまいました。私は「バトンがない人生なんて考えられない!」という勢いだったので(笑)、母がとにかく何かやらせなければとスタジオを見つけてくれて、そこに入ることになりました。母は、そうでもしないと私がグレてしまうと思ったんでしょうね(笑)。スタジオは劇団四季の養成所のようなところでした。そこでやっとミュージカルの世界の魅力に気付き、劇団四季に入ろうと燃え始めます。『キャッツ』のタントミールがすっごく好きで、中学生の頃はそれを目指して頑張っていましたね。
――そこからは劇団四季目指して一直線?
そうですね。高校を卒業したら四季に入ることしか考えていなかったので、演劇科のある高校へ進学しました。私の頭の中は四季のことでいっぱいでしたが、母からは「夢に一直線に向かって進むのも素敵なことだけれど、もっといろんな人に会って、いろんな世界を見なさい」と言われていました。それもあって、夏休みに神戸女学院大学の夏期講習へ行ったんです。そこで島崎徹先生という世界的に有名な振付家に出会い、「踊りは豊作を願って喜ぶことから生まれたものなのに、現代人はコンクールで技術ばかり競っている。だからこれ以上、舞踊が伸びないんだよ」という言葉に衝撃を受けました。やっぱりこの世界って競争じゃないですか。私もスタジオでは「誰よりも足が上がらなきゃ、誰よりも回れなきゃ」と苦しみながらダンスをやっていた部分があったので、「なんでこんなに争いながら踊っているんだろう」と改めて気付かされたんです。この先生の下で学びたい、自分の得意な踊りをもっと活かすためにコンテンポラリーダンスを学びたいと思い、高校卒業後は神戸女学院大学の音楽学部舞踊専攻に進みました。
――高校卒業時は劇団四季のオーディションは受けず、大学でダンス漬けの4年間を過ごされたんですね。
はい。特にコンテンポラリーダンス漬けの日々を送りました。オーディションは大学卒業間近のときに劇団四季、ディズニーリゾート、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)の3つを受け、ありがたいことに全部合格をいただきました。劇団四季に気持ちは固まっていましたが、私は大学卒業したてでまだ経験がないこともあって「研究生として来てほしい」とお話を頂いて……。
――「イエス」と即答はされなかったんですか?
もちろんありがたくて素晴らしいことなんですが、また親にお金を出してもらって研究生として過ごすのかと考えると、ちょっと引っかかる部分がありました。そんな風に迷っていたときに、神戸大学大学院のお話をいただいたんです。当時から心と体の健康促進に関する研究に興味を持っていたので、もし(院に)受かったら2年間その研究をしてみたいと、挑戦を決めました。そのご縁が無いのならば四季で頑張らせていただこうと。舞台の道は自分がものすごく頑張れば戻れるかもしれないけれど、大学院で勉強する機会はなかなかないと思ったんです。そうしたらまさかのトントン拍子で大学院に受かってしまって!
――すごいですね! ちなみにその研究をやりたいと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
私は大学生のときに祖父を癌で亡くしているのですが、祖父は亡くなる前にホスピスに入っていました。ホスピスは死を待つ場所でもあるので、出歩く人も少なく静まり返っていてすごく雰囲気が暗かったんですね。お見舞いで施設内のホールの横を通りがかったときに、ピアノコンサートの張り紙を見かけました。すると看護師さんが「月に1回のコンサートのときはみんながこのホールに集まってくるのよ」と教えてくれて、そのときピンときたんです。自分はこれまで舞台に立ってお客様に夢を届けたいという一心でやってきたけれど、もっと身近な人にもお役に立てる事が出来るんじゃないかって。
その頃から徐々に気持ちが開いていって、大学でアウトリーチ(※)の勉強をしたり、老人ホームでのワークショップのアシスタントをさせてもらうようになりました。とある老人ホームでコミュニティダンスのワークショップをしたとき、帰り際に一人のおじいさんが手すりを掴みながら歩いてきて「ありがとなー!」と声を掛けてくれました。そのとき横にいた介護士さんが「あの方、今まで立ったことないんですよ」と驚いていて、私すっごく感動したんです。「あ、これだな」と何かを掴んだ瞬間でした。こうした経験があり、研究することに興味が湧いてきたのだと思います。
(※)アウトリーチ:アーティストを学校や福祉施設などに派遣して、ワークショップやミニコンサートなどを実施する活動(※財団法人地域創造「文化・芸術による地域政策に関する調査研究[報告書]より)
――大学院ではどのように過ごされましたか?
週に1回老人ホームへ通うという生活を2年間続けました。卒業後は舞台の道に戻るつもりだったので、なるべくコンクールなどを多く受けて経歴を作るようにもしていましたね。研究と並行しながらダンスのイベント出演、神戸ウエディングクイーンの活動、ミス日本「海の日」の活動など、寝る間も惜しんで本当にいろんなことを経験しました。
――ものすごく幅広い活動をされていたんですね。その中で特に印象に残っていることを教えてください。
神戸ウエディングクイーンでは、街のために立ち上がって懸命に活動する人々の姿に心を動かされました。いただくお仕事以外にも何かしたいと考え、自主的にPR動画を作ったこともあります。自分の持つものを最大限に活かし、身近な人と手を取り合えばいろんなことができるんだなと実感しました。
ミス日本「海の日」でも様々な活動をしましたが、その中でカンボジアのケップ州へクリーンイベントに行く機会がありました。現地の孤児院子のどもたちとコラボレーションして式典で踊ってほしいという依頼だったのですが、カンボジアの子が使う言葉はフランス語とクメール語なので英語もあまり伝わらないですし、もちろんみんな踊りの経験もありません。必死にジェスチャーと簡単な単語でコミュニケーションを取っていたのですが、段々と子どもたちの表情や動きが変わってくるのがわかりました。言葉も伝わらずダンスもしたことがない子どもの心を、踊りを通してここまで動かせたんだなと感動しましたね。自分が信じてやってきたことは、どの世界のどの分野でも国境や年齢の壁を越えて広がっていけるんだということを身を持って体験しました。
舞台人生振り返り「オーディション会場の端から端まで前方転回したんです(笑)」
――舞台での活動を本格的に始めたのはいつ頃でしたか?
大学院を卒業したタイミングから、一気に舞台に切り替えていきました。また研究に戻るときは、経験を増やして自分がやりたいことをやりきってからにしようと決めたので。
――20th Century(坂本昌行・長野博・井ノ原快彦)が主演を務めたミュージカル『オン・ザ・タウン』(2014年)が、花岡さんのプロとしての初舞台ですね。
24歳で東京に出て初めて受けたオーディションが『オン・ザ・タウン』でした。会場では顔見知り同士の方がたくさんいて、アウェーな私は「いつか私もああやって顔見知りができるのかなあ」と思いながら受けていました。心細い中必死に頑張って、無事に合格をいただけました。
――夢だった劇団四季の『アラジン』にもご出演されていらっしゃいます。
そうなんです! オープニングメンバーで合格を頂きました。『アラジン』の出演が決まったときに、そのまま劇団に入るという選択肢もあったんです。でも既にいろんなことをやり過ぎていた私は、劇団一本に絞るということが考えられなくなっていました。四季が大好きなことは今も変わりませんが、入団ではなく作品契約という形を選びました。
――その後も多くの舞台作品に出演されていますが、特に思い出深い作品を教えてください。
『ダンス・オブ・ヴァンパイア』! ヴァンパイアダンサーとして出演したのですが、女性であんなに激しく踊る作品って意外となくて。ヴァンパイアたちがベッドの周りで約8分間歌い踊るシーンがあるのですが、息も絶え絶えで必死に踊るあの時間が開放的で大好きなんです。本当に身を削って踊らないと、この作品のダンスはお客様に伝わらないと思います。
オーディションのダンス審査では「なんじゃこりゃあ!」というくらいレベルが高い人たちが集まっていたので、この作品は絶対に掴みたいと思いましたね。オーディションの最後に「何かできる人」と言われたとき、バク宙を披露した方がいました。私は前方転回(※ハンドスプリング)が得意なのですが、バク宙のあとに前方展開をやっても全くすごさがないなと思い、オーディション会場の端から端まで前方転回したんです(笑)。振付の上島(雪夫)先生によると、私ともう一人で最後悩んでいたそうなんですが、あの前方転回の勢いが決め手になったと後日聞きました(笑)。
――前方転回での移動はインパクト大ですね(笑)。前回この連載に登場してくださった後藤晋彦さんから『マタ・ハリ』(2018年)での花岡さんの歌唱シーンが素晴らしかったと伺っています。
ありがとうございます! 私はダンスのアンサンブルキャストとしての出演が多かったのですが、『マタ・ハリ』では歌のソロを初めていただいたんです。演出家の石丸さち子さんはアンサンブル一人ひとりもしっかり見てくださる方でした。2幕に飛行場で夫の帰りを待つ女性たちが飛行機の墜落を知って泣き叫ぶ、というシーンがあります。稽古では特に演出をつけられず「泣き叫べー!」と言われてみんな一生懸命泣き叫んだんですね。そのときにダンサー上がりの自分の動けなさを目の当たりにして、すごくショックを受けました。今までは何かしら振りをいただいていたから動けたけれど、ここでは自分の中の感情から動かなければいけない。これまでは形でやっていた部分があったんだなと思い知りましたね。お芝居の難しさと楽しさを知るという意味で、ターニングポイントとなった作品です。
ハバネロレベル!? スパルタ筋トレ部のまりな先生
――花岡さんは舞台出演中、カンパニー内で筋トレ部の先生をよくされていらっしゃいますね。
大学時代に取得したピラティスの資格を活かして、時々カンパニーで先生をやらせてもらっています。この業界に来てみたら意外とインナーマッスルを鍛える人が少なくて、「それどうやって鍛えるの?」という声を多くいただいたんです。そうしたらいつのまにか先生になっちゃいました(笑)。確か2019年の『ドン・ジュアン』初演時、座長の藤ヶ谷(太輔)さんが体を鍛えたいということで筋トレ部を作ったのが始まりです。そこから派生して『ダンス・オブ・ヴァンパイア』のカンパニーでも筋トレ部ができて。今は終演後に一部のメンバーで集まって必ず筋トレをしています。こういう活動を通してコミュニケーションが生まれるということも好きなんですよ。
――噂ではハバネロレベルの厳しさとか……!
ダンサー相手なので本当に容赦ないんです(笑)。叫びながら筋トレをして、終わったあとはしばらくみんな動けないような状態になります。私はそれを見てしめしめって(笑)。コロナ禍になってからはオンラインレッスンも始めたので、一般の方も含めて教える機会が増えてきました。体幹を鍛えて損はないので、みなさんの体のケアについても伝えられたらといろいろな資格も受けレベルアップしようと思っています。身体は年齢と共に何かと問題も出てきますので、そうならないためにも、そうなったときのためにも、今すべきこと、セルフケアの方法を伝えていきたいですね。
――この連載では、注目の役者さんを毎回紹介していただきます。花岡さんの注目の方は?
元宝塚歌劇団の“ぴーさん”こと山田裕美子さん。舞台に対してはもちろん、全てに対してまっすぐな方です。「そんな汚い鏡前じゃ顔も汚い!」とご指摘いただくところから始まり(笑)、お化粧のこともパフ一つから何をどう使えば良いのか惜しみなく教えてくださいました。同じオーディションを受けるときにも連絡してくれて台詞や歌のアドバイスをしてくださるんです。「肌が荒れたらここに行きなさい」と美容ケアのことまでフォローしてくださって。出会ってからずっと役者としての勉強をさせていただいています。
――花岡さんの原点とも言えるダンスは、ご自身にとってどういうものですか?
今はダンスが仕事なので「ダンスが好きで好きで堪らない!」という時期は通り越し、生きていくための一つのツールになっています。人前でダンスを披露して力を与えたり、ダンスを教えたり、ダンスを通して人と触れ合ったり……これから先も必ず私の隣にあるものです。
――最後に、花岡さんが見据えるこれから先のことを教えてください。
舞台での活動もまだまだ頑張っていろんな作品に関わっていきたいですし、もう少し上の役にも挑戦してみたいなと思っています。ただ、それは私にとっては全て通過点。舞台での活動を踏まえて、舞台を目指す子どもたちの力になったり、舞台は勿論様々な分野での振付、最近始めたフィギュアスケートの表現指導などもしていきたいと考えています。いずれは老人ホームでの活動も広げていきたいです。たとえどこに呼ばれてもこれまでにやってきたことを活かせるよう、経験をもっと広げていきたいですね。今目の前にあるやりたいことをがむしゃらにやったとき、道が見えてくるのだと思います。
取材・文=松村蘭(らんねえ) 撮影=中田智章

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