池の下によるハロルド・ピンター作品
第2弾『いわばアラスカ』──演出・
美術の長野和文に聞く

ハロルド・ピンターの戯曲は、晩年になるにつれて、作品内容の抽象度が高くなり、断片化する。そして政治性が増していく。つまり、上演するのが難しい作品群だ。池の下は、2018年に『灰から灰へ』を上演したが、今回もピンターの後期戯曲『いわばアラスカ』を上演する(2021年12月17日〜19日 劇場MOMO)。演出・美術を手がける長野和文に、いまなぜピンター作品に連続して取り組もうとするのか、その理由を聞いた。
■ハロルド・ピンターの後期戯曲に取り組む理由
──1982年にハロルド・ピンターが書いた『いわばアラスカ』を「海外戯曲シリーズ」の4作目として上演しようと考えた理由を聞かせてください。いま、なぜピンターの後期戯曲に取り組もうと思われたのですか。
 まず、コロナという以前に、いま、社会のなかにいろんな矛盾や問題が、政治的にも経済的にも広がっている状況があると思うんです。これまでピンターが常に警句のように語っていたことが、まさに現実的な問題として近づいてきている、そういった状況に危機感を覚えています。
 ピンターの作品はずいぶん昔に読んで、それ以来、ふれることがなかったんですけど、最近になって読み返してみて、いま上演したら面白いんじゃないかなと。現代の状況を抉(えぐ)り取るような作品がいくつかありますので、いまピンターをやってみようと思ったんです。
──まず、現在の社会状況があり、それについて考えるうえで、ピンターの作品が有効だと。
 2018年、最初に取りあげたのが、1996年に書かれた『灰から灰へ』で、これはホロコーストを扱った作品です。社会的な不安、これから何が起こるのかわからない感じの不安、さらには支配層の変容などが感じられるなかで『灰から灰へ』をやってみようと思いました。
 今回の『いわばアラスカ』を、わたしは「再生の物語」としてとらえていて、このコロナの状況のなかで、貧者はますます貧しくなり、社会的分断がどんどん広がっていく状況のなか、実際に生きていくことに対する不安を感じている人たちが増えていると思うんですが、そのなかで『いわばアラスカ』は生の感覚、生きている感覚を非常に意識した作品だと思うんです。

■『いわばアラスカ』に息づく生の感覚
──『いわばアラスカ』には、生きている感覚が濃厚に息づいていると。
 そうですね。『いわばアラスカ』はそういった面が非常に強いと思うんです。主人公のデボラという女性は、16歳のときから、29年間、全世界的に流行した嗜眠性脳炎という不治の病に感染して眠り続けることになる。それが29年目の45歳になったとき、薬が開発されて目覚めるという設定になっています。
──後に嗜眠性脳炎と名付けられる感染症は、1916年から17年の冬にかけて流行し、それから50年後、特効薬が開発されたおかげで、患者たちは正常な生活がおくれるようになる。この特効薬の名前が……。
 レボドパという特効薬。その薬のおかげでデボラは目覚めることができたけれど、自分はまだ16歳だと思っている。そのなかで、まわりにいた男性と女性が、いまはもう29年経ったんだということを説明していくんですけれども、最初のうち、デボラはその現実をなかなか受け入れようとしない。
 それから時間をかけて、29年のあいだ、デボラが眠ってしまってから何が起きていたかが明かされていくんですが、最後に、デボラは自分に起きたことを受け入れ、この先も自分は生きていくことを選ぶ。いわば生の再生みたいな感じで終わっていくんですが、その状況がコロナ後のわれわれの再生となにか通底するものがあるんじゃないか。そう考えて、今回は『いわばアラスカ』という作品を上演しようと思いました。
■演出と美術をどちらも手がけることについて
──長野さんは舞台を演出するにあたり、美術も手掛けられることが多いんですが、そのときに心がけていらっしゃることはありますか。
 美術に関しては、昔から演出の作業のひとつだと考えています。ビジュアル的な造型に対するこだわりはありまして、空間に絵を描くような感じでやってみたいと思っていました。寺山(修司)のシリーズのときは、美術は朝倉摂さんとのコラボレーションでやっていましたが、台本を読んだときに浮かんでくる絵があり、それをいかに造型していくかという美術的な視点から考えていくことが多いんです。それが自分で美術をやる理由です。空間をどういうふうに作り変えていくかにいちばん興味がありますね。 
──今回の舞台は病室になるんでしょうか。それとも自宅の一室になるんでしょうか。『いわばアラスカ』の舞台美術に関して、キーワードというか、こだわられたものはありますか。
 非常にシンプルな舞台で……。
──ベッドとテーブルと椅子しかないですね。
 舞台中央に象徴的なオブジェがあります。台本では、最初のト書きのところで指定されているものは、白いベッド以外にはテーブルと椅子、それから窓があるんですよね。
──たしかに、ト書きでは「テーブル一つ、椅子二脚。窓一つ」と指定されています。
 わたしは基本的に、リアルな舞台美術はやりたくはないほうで、その窓を象徴的にとらえたオブジェであり、なおかつ、この話のいちばん最後のあたりに出てくる鏡の部屋……。
──デボラが眠っているあいだのイメージですね。
 窓が鏡になっていて映るという感じのイメージ。それを表したオブジェで、シンプルな黒い枠とその奥にミラーがあるという、まあ、これだけのものなんですけど、一応、象徴的にいま言ったものを造型で表そうとしています。ですから、台本を読んで、そこからイメージされる造型を、舞台に作っていくといった感じの美術です。
■幾重にも練りあげられる池の下の舞台
──池の下の舞台には、イメージを多層的に塗りこめられた感覚があります。でも、寺山修司の初期作品や三島由紀夫の戯曲に比べると、ピンターの描く世界はシンプルでそっけない気がしますし、登場人物が右往左往しているようなイメージがあります。
 本当に隙間だらけのテキストなんで、その分、作り甲斐はあるんですね、その隙間を埋めていく作業として。『いわばアラスカ』はこのままやると、たぶん、よくわからないものになっていくと思うんですけれど、それを演出のなかで練りあげていくというか、捏造していくというか(笑)、そういった作業を通してできていくものがあると思うんです。
──先ほどおっしゃった鏡もキーワードのひとつですね。『いわばアラスカ』では、自分を映す鏡を自分では見ない一方で、近くにいる女性の姿を通して、自分に時間が過ぎたことを感じたりする。
 近くにいる女性が鏡としても機能しますが、鏡は本来は自分自身を映すものですよね。デボラは29年間、自分という牢獄、自分という身体に閉じ込められていた。そのことと自分を映す鏡とはつながっていると思うんです。
──デボラの鏡のイメージや精神性みたいなものと、はじめにおっしゃっていた社会的な不安とは、どういう感じでつながるんでしょうか。
 デボラが目覚めたときから、不安はすごくあると思うんですよ。自分はどういった状態なのか、何歳なのか、どこにいるのか、すべてわからない状況っていうのは……。
──最初は近くにいる男性にいたずらされたのではないかと疑う場面もありますね。
 それも、もしかしたらデボラの皮膚感覚のなかで、29年間、寝たきりだったときに、いろいろ介護的なことをされたことを、そう思ったのかもしれない。そういう状況で目覚めて、不安があるなか、だんだん事実がわかっていく。そして、もう若くはない自分が認識されていくなかで、最後にそれを受け入れていくところが、この芝居の大きなテーマでもある。そのときには持っていた不安が消えていると思うんです。
──あるいは、近くにいる女性が語るように、家族全員が世界旅行に出ているとか、父親とか姉について伝えられたイメージの中間点に、なんとか一回着地する感じでしょうかね。
 結局、覚醒後の世界を、最終的には受け入れる話だと思います。そうやって受け入れていくなかで、やっぱり自分は生きている、さらに言えば、いろんなものに生かされていることを感じていく。それが最後の「ありがとう」という台詞にもつながっていくと思うんです。
■いま上演する意味がある作品
──では、最後に観客の方々にメッセージをお願いします。
 わたしは寺山にしても、三島にしても、ピンターにしてもそうですが、テキストによって作りかたをまったく変えていくので、ピンターのときは、ピンターの作りかたになります。難しいといわれるピンターですが、戯曲に書かれていないことがたくさんあるし、書いてあることにもけっこう矛盾があったりするので、そこをいかに消化していくか。しかも、全部を消化していいものなのかという問題もあり、そのまま大きなクエスチョンマークとして舞台に残すという手もあります。そういった感じで、ピンターに関しては、他の作品とはぜんぜんちがった作りかたをしています。
 池の下の内々の話になりますけれども、作りかたとしては、寺山のときは身体的な感じのものを追求していき、舞踏的な身体とか、そういった感じのものをワークショップで重ねていきますし、三島の場合は言葉地獄ですから、徹底的に言葉との勝負、言葉を使った表現方法を追求していく。そして、ピンターの場合は、作品の形式としては一応リアリズムで書かれているので、その役をいかに生きていくかという状況の分析とか、脚本分析にかなり時間をかけて作っていく感じです。
 池の下の公演は毎年12月にやる風物詩的なものになってきているんですけど、いま見せたいお芝居を上演していますので、興味のあるかたはご覧になってください。
──ピンターはベケットと同じように作品の評価は高いんですが、難解な印象もあるので、観客動員を考えると、勇気をふるわないとなかなかできないような気もします。
 でも、いまやる意味がある作品群だと思うので、もちろん、たやすくはないですけれども、これからもやっていきたいと思っています。
池の下公演『いわばアラスカ』の演出・美術を手がける長野和文
取材・文/野中広樹

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