山田裕美子インタビュー 子役、宝塚
、東宝 長年の舞台経験からヒントを
与えられる人に /『ミュージカル・
リレイヤーズ』file.9

「人」にフォーカスし、ミュージカル界の名バイプレイヤーや未来のスター(Star-To-Be)たち、一人ひとりの素顔の魅力に迫るSPICEの連載企画『ミュージカル・リレイヤーズ』(Musical Relayers)。「ミュージカルを継ぎ、繋ぐ者たち」という意を冠する本シリーズでは、各回、最後に「注目の人」を紹介いただきバトンを繋いでいきます。連載第九回は、前回、花岡麻里名さんが、「全てに対してまっすぐな方」「台詞や歌のアドバイスから美容ケアに至るまで惜しみなく教えてくれて、出会ってからずっと勉強をさせていただいている」と紹介してくれた山田裕美子(やまだ・ゆみこ)さんにご登場いただきます。(編集部)

「目の前のことを一生懸命コツコツやってきたらここまできてしまいました。長かったとは思いません」
舞台人生を振り返りそう語ったのは、近年東宝ミュージカルの出演が続く山田裕美子。幼い頃から観劇に慣れ親しみ、子役時代、宝塚時代を経て、今もなおその確かな実力でミュージカルの舞台に立ち続けている。
常に冷静に自身を俯瞰し、たゆまぬ努力で歩み続けてきた彼女の舞台人生には、前を向いて生きていくためのたくさんのヒントが詰まっていた。
気づいたら観劇していた幼少期
――最初にミュージカルに興味を持ったきっかけを教えてください。
観劇がとても好きな母の影響ですね。私が6歳くらいになってから一緒に観劇に連れて行ってもらうようになり、劇団四季、東宝、宝塚などのミュージカルを観るようになりました。そしたらいつのまにか「ゆくゆくは私は宝塚歌劇団に入るんだ」と思うようになっていったんです。
――山田さんは東京ご出身ですよね。宝塚の観劇は東京宝塚劇場へ?
そうです。建替え工事が行われる前の東京宝塚劇場へよく行っていました。当時の劇場ではクレープが売られていて、それを食べるのも楽しみの一つでしたね。売店では「宝塚おとめ」「歌劇」「宝塚GRAPH」などの雑誌をよく買っていました。
山田裕美子
――当時憧れていた宝塚のスターさんはいらっしゃいますか?
もちろんみなさんすごい方ばかりなんですが、誰か特定の方のファンになるということはなかったんです。「このときの○○さんが素敵だな」というのはあっても、特定のブロマイドだけを買うとか、お茶会やファンクラブの会に行くとかそういうことには興味がなくて。中学生になって宝塚受験のスクールに通うようになってからは、お化粧がきれいだなと思う娘役さんのブロマイドを買って研究することはありました。
―ー物心ついた頃からミュージカルは身近な存在だったようですが、何か習い事はされていましたか?
5歳からモダンバレエを習っていました。モダンバレエはクラシックバレエと違ってトゥシューズは履きませんし、チュチュを着て踊ることもありません。先生に振付をつけてもらって、ひたすらコンクールに出て賞を取るために頑張っていました。古典ではないので決まった型もなく、その分表現力を身につけられたんじゃないかなと思います。でも小学校3、4年生くらいになったとき「もっと自分から何かを表現したい、歌ったり踊ったりしたい」という想いが芽生えてきたんです。それもあって10歳で児童劇団に入ります。毎週土日に劇団のレッスンに通っていくうちに、少しずつ子役としてのお仕事をするようになりました。
――中学2年生でミュージカル『アニー』に出演されていますね。
児童劇団で『アニー』のオーディション情報を知って受けました。でも、当時からずっと宝塚受験は意識していたので、どこかのタイミングで子役の活動はやめなくてはいけないなと考えていました。子役と宝塚の世界では歌い方から話し方から、求められているものが全く違いますから。そう考えたときに、子役としての最後の仕事はこの『アニー』だなと意識していました。
4度の宝塚受験で得た気づき
――子役から宝塚モードに切り替えて臨んだ受験はいかがでしたか?
私は中3から4回受験して、高校卒業のときに合格しました。宝塚の一次試験はあまりにもスタイルがいいか、元気か、実力がある人でないと合格できません。私は“スタイルお化け”の人たちと戦わなきゃいけないかったんです(笑)。とにかく元気に臨みましたが、初受験は一次で落ちました。
2回目の受験では、一緒に試験会場に入る30人の中で私の“元気”が突出していたんです。「みんな今年はどうしたの?!」って私が思うくらい(笑)。一次では順番に受験番号・身長・出身校・出身地を言うんですけど、私だけが元気にハキハキとしていたので、演出家の先生が顔を上げて「おお〜」と言っていたのを今でも覚えています。このときに一次は合格。そして二次には、やっぱりスタイルお化けしかいないですと。周りのレベルの高さに圧倒されてしまい、二次は不合格でした。改めて壁の高さを痛感しましたね。
山田裕美子
そして高2で受けた3回目。このときは前回のように勢いで受かるんじゃないかと心のどこかで思っていたのかもしれません。宝塚受験では、受験生が年少組(中3・高1)と年長組(高2・高3)に分かれています。年少組は可能性や伸びしろを見てもらえるのですが、年長組になると急に完成度を求められるんです。私は初めて年長組として受けた一次で落ちました。
落ちて、受かって、落ちて……ここで一度自分を見直さなければいけないと思い、それまで通っていた宝塚受験のためのスクールを一旦全部やめました。とにかく一度普通の高校生活をしないと受験が終わったあとにおかしくなってしまいそうで。あえて受験に関係ない普通のバレエスクールや歌のスタジオに通うことにしたんです。私にとってはそれがすごくよくて! ただただ踊って歌って自分を開放して、力まず穏やかに生活することができました。受験スクールではどうしても周りと比べられてしまいます。当時の私のメンタルはそこまで強くできあがっていなかったですし、人と比べるよりも自分と自分を比べていく方が性に合っていたんです。無条件で受け入れてくれるスタジオの環境にも助けられました。
いよいよ宝塚受験の願書を出す時期になり、最後の3ヶ月間だけ受験スクールに戻ったんです。受験直前で殺伐とした空気の中、私は一人ポーンと浮いているような感じで粛々と頑張ることができました。一次の厳しさ、二次の壁の高さ、スタイルお化けだらけの受験生……それらを身を持って知っていたので今さら焦ることもなく、ひたすら今の自分を確認していく日々を送りました。
――自分自身を俯瞰して見て、これまでの方向性を変える判断も自分でするなんて、普通なかなかできることじゃないですよね。しかも高校生で。
今思うとすごいですよね(笑)。あのときは自分の直感で行動していました。そのままの生活で4度目の受験をしていたら、見かけだけは宝塚に好まれるような子を演じることはできたかもしれません。でもメンタルはグラグラだったし、それは剥がれてしまうもの。穏やかな生活を送る中で強さを身につけ、ただただ丁寧に自分の良さを出すことに集中できるようになりました。(4回目の試験で)一緒に受験していた同期によると、みんなが緊張して周りをうかがいながらいる中、私だけ突然足を上げて準備運動始めたりしていたみたいです(笑)。私は“宝塚っぽくない”とずっと言われてきたので、それがやっぱり悔しかったんですよね。「同じ人間なのだから私にもできないはずがない」と信じて、ひたすらやってきたのだと思います。
山田裕美子
宝塚で学んだ“裏”の大切さ
――4度の受験を経て合格した憧れの宝塚ですが、音楽学校に入学されてからはどうでしたか?
いつも試験で上位4番以内に入るので、同期から“四天王”と言われていました。でも私からしたら中卒で合格してきたみんなの方がよっぽどすごいんです。私は子役としての活動もしてきたし、宝塚受験に必要な勉強を6年も必死でやってきました。音大付属の高校で音楽の勉強もしてきました。ここまでやって上位の成績を取れなかったら、それは向いていないってことじゃないですか。受験でお世話になった先生からも「入学したらきっと試験で1番取れちゃうと思うけど、調子に乗ることなくちゃんとやっていきなさいよ」と言われていたんです。気を抜いたらすぐに順位が落ちることもわかっていましたし、劇団に入ってからはスター性も評価対象に入ってきます。私の成績が良いのは期間限定だと思っていたので、最後まで手を抜かず、少しでも平均値を上げるよう努力し続けました。
――宝塚ではどんなことを学びましたか?
表のことはもちろんですが、裏のことを学ばせてもらいました。例えば重い荷物を持っている人がいたらサッと手伝うとか、小さな思いやりって意外と勇気がいるじゃないですか。そういう些細なことを当たり前にするということや、舞台裏でのマナーなどを上級生の方々に教えていただきました。80人の大所帯がぶつからずに怪我をせずパフォーマンスできるすごさは、舞台上で見えない裏があってこそなのだと今になってわかるんです。宝塚には表には出ない裏の厳しさがあります。でも、これが崩れてしまってはやっぱり宝塚の世界はできないんです。化粧道具の扱い方、先輩に話しかけるタイミング、そういったことも含めた裏のこと全てが表のパフォーマンスに繋がっています。当時は目まぐるしい日々に追われて気付けなかったのですが、退団してからその大切さに気付きました。
――この連載で前回登場した花岡麻里名さんから「そんな汚い鏡前じゃ顔も汚い」という山田さんの名言を伺いました(笑)。
あのワードだけ切り取ると、私寮母さんみたいじゃないですか!?(笑) 舞台人に限らず女の子って、メイクがうまくいかない、前髪がキマらない、吹き出物ができたとか、そういうときのモチベーションの下がり具合といったらないじゃないですか。私は基本的に器用だと思われがちなんですけど、実際は不器用な面もあるんですよ。宝塚時代にどうやったら舞台上で綺麗になれるのか、スキンケアやお化粧の仕方を自分なりに研究し続けてきました。宝塚の公演プログラムをチェックして「やっぱり一番綺麗な人は副組長さんだ」と思ったら副組長さんに会いに行き、まつげの付け方を教えてもらったこともあります。だから「今綺麗になって舞台に出たいのに! 今ここが勝負時なのに!」と困っている子たちがいると、昔の自分を見ているみたいでアドバイスしたくなっちゃうんですよね。
山田裕美子
でもみんながそれぞれ自分史上一番かわいいと思っているところにアドバイスをするのって、すごく難しくて。下手したらその人のこだわりを否定しかねないじゃないですか。花岡麻里名ちゃんも、最初は彼女が何か困っているときに「こうした方がいいんじゃない?」とアドバイスしたのがきっかけ。せっかくみんないいパフォーマンスをしているのだから、舞台上ではベストな状態で輝いてほしいんです。舞台初日だってお稽古の佳境で迎えるので、必ずしも万全な体調じゃないこともあります。長時間舞台稽古をして、ゲネプロもやって、Wキャストだったらもう一度ゲネプロをやって、ようやく初日。そんなときに肌トラブルがあったらテンション下がりますよね。だからこそ、いつでもどんなコンディションでも綺麗でいられるようなお化粧の仕方を必要な人に伝えたいし、自分も学んでいきたいと思うんです。
ターニングポイントは『CHICAGO』と『エリザベート』
――2006年に宝塚を退団されていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?
宝塚で退団を決意するときによく“鐘が鳴る”と言われるんですけど、私は自分でガンガン鐘を鳴らしていくタイプ。ここまでには辞めるということを最初から決めていたんです。退団時に5年目から大階段を降りることができるという決まりがあったので、25歳の研5のときに辞めました。朝海ひかるさんと舞風りらさんのトップコンビ退団もあって、退団者が多いタイミングでもありました。宝塚で学ばせていただいたものを大切に、これからは自分のパフォーマンスをさらに上げるために次へ行こうと。それに私の性格上、長く在団すると調子に乗ってしまいそうだったので(笑)、“宝塚”というブランドを捨てて自分が何者なのか確かめたかったんです。
――退団後初の舞台出演はミュージカル『アプローズ』(2008年)ですね。
2007年にオーディションを受けたのですが、人前で振付を受けてその場で踊るということが久しぶりで、すごく楽しかったんです。改めてこの道でやっていこうと思えた瞬間でした。ただ、外部の世界で自分をどう出していけばいいのかわからない時期もありました。宝塚で良しとされているものと、外で評価されるものって少し違うんです。5年の宝塚生活で染み付いたものもありましたし、素の自分を出しちゃいけないという思い込みもあったかもしれません。時間とともに「自分でいればいいんだな」と自然と思えるようになっていきました。
――仕事との向き合い方が変わるようなターニングポイントとなった作品はありますか?
宝塚歌劇100周年記念OGバージョンの『CHICAGO』(2014年)です。『CHICAGO』は私が普通にミュージカルの仕事をしていても絶対に出られない作品だと思っていたので、「ぜひやらせてください!」という気持ちで参加しました。こんなに作品にのめり込んだことないというくらい、常に作品のことを考えていましたね。『CHICAGO』はみんな同じ黒い衣装で、みんな同じライティングという条件。だからこそよくも悪くも本当の自分の全てが出る作品だと感じました。人生経験が長くないとできないような表現もたくさんあり、お芝居にとことん向き合う貴重な経験にもなりました。
山田裕美子
――その後、東宝ミュージカル作品への出演が続きます。
『CHICAGO』のお稽古中に『エリザベート』のオーディションの話があったんです。オーディションの時間が稽古と重なっていたので受けられないだろうと思っていたのですが、前日に突然稽古時間が変更になって奇跡的に行けることになりました。そこからは本当にトントントンと。タイミングが良かったんだと思います。
『エリザベート』もターニングポイントでした。宝塚受験のスクールの行き帰りにカセットテープで一路真輝さんの初演の『エリザベート』をずっと聴いていたくらい大好きで、いつか出られたらいいなと思っていた作品です。歴史ある作品でファンの方も多いですし、初の東宝作品ということでプレッシャーもありました。
――よく、一度出演すると次の作品に繋がっていくと言われますよね。
一生懸命やっていれば繋がるかもしれませんが、繋がっていかなかったらどうしようというプレッシャーも抱えていました。でもこの先どうなろうと、目の前にある仕事がゼロじゃないならその仕事を丁寧にやろうと思ったんです。それでも「次は呼ばれないかもしれない」という不安はどうしてもあります。先のことを考えて辛くなることもあります。だからこそ今目の前にある仕事に真摯に向き合い、新しい出会いを信じて、ここまでコツコツとやってくることができました。
――この連載では注目の役者さんを紹介していただきます。山田さんの注目の方は?
『フランケンシュタイン』(2017年、2020年)でご一緒した丸山泰右くん。彼はディズニーランドでダンサーとして長くやってきた方です。私が大切にしたいと思っている裏のことを彼もとても大切にしているんですよ。女性の私がちゃんとしなきゃって思うくらい当たり前に気遣いができて、それが彼のパフォーマンスにも出ています。男性なのに決して力でいかない感じが他とは違う存在です。本当に繊細な部分をちゃんと持っていて、その繊細さがあるから彼のタップの音色はあんなに柔らかくて、細かくて、おしゃれなんだろうなってすごく思います。
――最後に、山田さんが一人のアーティストとしてこれからやっていきたいことを教えてください。
仕事がなくなるまで、自分が必要とされるまでチャレンジしていきたいです。たとえやりたいことができてもできなくても、いつもキラキラした自分でいたいとも思います。最近、私のように不器用な自分につまずいたり人生に迷ったときに「こんな人がいたなあ。この人も長くやれてるじゃん」と思ってもらえる存在になれたらいいなと思うようになりました。誰しも気持ちが落ちてしまう時期はあります。そういうときどうやって這い上がったらいいのか、みんなわからないんです。私は不器用ながらもがむしゃらにやってきて、少しずつその術がわかってきました。これまでの自分の経験を活かし、悩んでいるときにちょっとしたヒントを与えられるような人になりたいと思います。

山田裕美子

取材・文=松村蘭(らんねえ) 撮影=iwa

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