宮田大『チェロ・リサイタル 2022』
オフィシャルレポートが到着

2022年2月25日(金)・26日(土)、東京・大阪にて『宮田大 チェロ・リサイタル 2022』が開催された。本公演のオフィシャルレポートが到着したので紹介する。

2009年にロストロポーヴィチ国際チェロコンクールにおいて日本人初となる優勝を果たして以来、宮田大はクラシック音楽界の最前線で活躍し続けてきた。作品の初演から100年となる2019年にレコーディングしたエルガーのチェロ協奏曲(トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団)は、ヨーロッパの最も権威ある賞のひとつである「OPUS KLASSIK 2021」コンチェルト部門(チェロ)を受賞し、宮田の評価を決定づけた。
そんな宮田がピアソラの生誕100年を記念して、新たなアルバム『Piazzolla』をリリースし、2月25日、26日に東京と大阪で「ピアソラへのオマージュ」と題するリサイタルを行った。私は初日の東京オペラシティ コンサートホールでの公演を聴いた。チケットはソールドアウト。会場は開演前から、宮田のピアソラに対する期待と熱気に満たされていた。チェリストが東京オペラシティ コンサートホールのような所謂「大ホール」でリサイタルを行い、客席を満員にするのは異例のことだ。普通なら500席前後の室内楽ホールでリサイタルを行うだろう。しかし宮田はこれまでも、サントリーホールやミューザ川崎シンフォニーホールなど、オーケストラが公演を行うホールでリサイタルを行ってきた。東京オペラシティ コンサートホールでこの半年間にリサイタルを行った弦楽器奏者を見ても、レオニダス・カヴァコスやイザベル・ファウストなど超一流の名が並ぶ。またこうした大きなホールで弦楽器奏者がソロを弾くには、後方の席にまでしっかりと届く豊かな音が必要だ。宮田はオーケストラ用の大ホールでリサイタルを行うことが可能な人気と実力を兼ね備えた稀有な音楽家と言えるだろう。
宮田がこのホールでリサイタルをするにふさわしいチェリストであることは、リサイタル冒頭の《リベルタンゴ》から明らかだった。無伴奏チェロのために小林幸太郎が編曲したピアソラの代表作を宮田がピッチカートで開始すると、その音はステージからだけでなく、ホール後方からも聴こえて来た。ただ音量が大きいだけでなく、楽器の響かせ方が実に巧みなのだ。宮田のピッチカートには、たった一音で聴き手の心を掴む力が備わっている。ピッチカートの序奏が終わり、皆に愛される名旋律がアルコで弾かれると、ホールは完全にピアソラの世界である。なんと理想的なリサイタルの始まりだろうか。
前半2曲目は作曲家の山中惇史をピアノに迎えて《タンガータ》が演奏された。山中はアルバムと今回のリサイタルで演奏されたほぼ全てのピアソラ作品を編曲している。宮田はそのアレンジを「ピアソラ&山中惇史」の作品と絶賛した。《タンガータ》でも山中のオリジナリティは随所に感じられる。ゆったりとした前半部分では、ピアソラの音楽が持つブエノスアイレスの空気を大切にしながらオリジナルのテクスチャを活かしているが、後半に入りテンポが上がると山中ワールドとなる。それは確かにピアソラの音楽だが、纏う空気は2020年代の東京そのものだ。作曲家のオリジナルを尊重しながらも、アクチュアリティを注ぎ込むことも忘れないのが山中版ピアソラの魅力である。
前半最後に演奏されたのはピアソラではなく、ファジル・サイのチェロ・ソナタ《4つの街》であった。宮田が「ピアソラへのオマージュ」と題するリサイタルでサイの作品を取り上げるのは、ピアソラとサイがともに独自の世界観を持つ作曲家であり、両者の作品に即興性を重んじるという共通点があるからだという。この作品は〈スィヴァス〉〈ホパ〉〈アンカラ〉〈ボドルム〉の4楽章から成り、そのタイトルは全てサイの祖国トルコの都市名から来ている。トルコの民族音楽がクラシック音楽やジャズと混ざり合って、未知の音楽体験を提示する。チェロで民族楽器を模倣したり、ピアノには内部奏法が登場したり、情報量の多い作品だ。トルコはユーラシア大陸の中央に位置し、ボスポラス海峡を隔てて西はヨーロッパ、東はアジアと、ひとつの国のなかでさまざまな文化が混ざり合う国である。ピアソラが生まれ育った頃のアルゼンチンもまた、ヨーロッパとの間で多くの人とものが行き交い、複雑な文化を形成していた。そうした土壌のなかで、ピアソラのタンゴとクラシック音楽の融合も育まれていったのだ。ピアソラ・プログラムのなかでサイの音楽が違和感なく聴こえたのは、そうした文化の多様性とコスモポリタン精神がふたりの作曲家に共通しているからかもしれない。
プログラムの後半は、バンドネオン奏者の三浦一馬との共演で始まった。演奏するのは三浦が編曲を手がけた《言葉のないミロンガ》である。山中のピアソラがモダンで都会的なのに対して、三浦のアレンジはもっと土臭く、アルゼンチンの民族音楽としての側面に光が当てられている。ピアソラが愛した楽器であるバンドネオンを演奏し、アルゼンチンで研鑽を積んだ三浦は、今回の出演者のなかで誰よりもピアソラとタンゴをよく知り、また日常的に演奏している音楽家なのだ。そんな三浦を宮田は「ピアソラの師」と呼ぶ。三浦と共演する宮田の右手の動きは、どこかバンドネオンのふいごを思わせる深いものとなり、その音も空気や呼吸を強く感じさせる。共演者が持つ個性に反応して、瞬時に音楽を変化させ、アップデートしていくのも宮田の持ち味である。
そうした宮田のアンサンブル力が存分に発揮されたのが、ウェールズ弦楽四重奏団との《鮫》であった。これまで誰も挑戦したことのなかったチェロと弦楽四重奏による《鮫》は、スリリングな魅力に溢れ、宮田の圧倒的なテクニックを存分に堪能できるものであったが、ただ超絶技巧をソリスティックに披露するのではなく、合奏のコントロールはウェールズ弦楽四重奏団に委ねて、室内楽として統一感のある演奏を聴かせた。ウェールズ弦楽四重奏団のドライで研ぎ澄まされた響きに宮田の太く力強い音が重なったとき、それはソリストと伴奏の「1+4」ではなく5人でひとつの合奏体として成立していた。
リサイタルが後半に差し掛かると、アンサンブルの人数が少しずつ増えてくる。宮田とウェールズ弦楽四重奏団に山中も加わって、《アディオス・ノニーノ》と《アレグロ・タンガービレ》が演奏されたが、特に心に残ったのは《アディオス・ノニーノ》だった。「さようなら、ノニーノ(ピアソラの父のニックネーム)」を意味する《アディオス・ノニーノ》は、父の死に立ち会えなかったピアソラがその死を悼んで書いた特別な作品であり、作曲家自身も生涯大切に演奏し続けた。《鮫》とは対照的な静かな世界が広がる。宮田もこの作品をとりわけ大切にして、アルバムも《アディオス・ノニーノ》で締めくくっている。新型コロナウイルスによるパンデミック、そしてウクライナでの戦争。この数年、私たちは暗く悲しいニュースに日々向き合ってきた。《アディオス・ノニーノ》はピアソラが個人的な悲しみを乗り越えるために作曲した「喪の仕事」だが、今を生きる私たちにも必要な音楽に感じられた。《アディオス・ノニーノ》はこの日のリサイタルのハイライトだった。
リサイタルの最後は三浦も含めた出演者全員で、《愛への帰還》と《ヴィオレタンゴ》が演奏された。《愛への帰還》は「ピアソラへのオマージュ」のなかの「ヨーヨー・マへのオマージュ」である。ヨーヨー・マがピアソラを弾いたアルバム『ソウル・オブ・タンゴ』はチェロで演奏するピアソラでまず思い浮かべる歴史的名盤だろう。宮田も子供時代に『ソウル・オブ・タンゴ』を愛聴し、今回ピアソラと向き合う際にも、ヨーヨー・マが演奏していた作品を取り上げようと決めていた。そのひとつが《愛への帰還》である。宮田たちの《愛への帰還》は、尊敬する先人への美しいオマージュとなった。しかし、宮田の演奏も、山中によるアレンジも、ヨーヨー・マのカバーなどではなく、全く新しい個性を持ったものである。それこそが今回宮田が仲間たちとピアソラに取り組んだ意義なのだ。宮田のピアソラは、今ここでしか聴けない唯一無二の魅力が備わっていた。会場の熱狂に応えてアンコールも3曲演奏され、最後には《リベルタンゴ》がメンバー全員で演奏された。こうしてリサイタルの輪が閉じられた。
7月7日には、宮田とピアニストの福間洸太朗によるデュオ・リサイタルが浜離宮朝日ホールで開催される。個性溢れるふたりのソリストがドビュッシーやフランクなどのフレンチ・プログラムでどのような化学反応を見せるのか、この公演も要注目である。
取材・文=八木宏之

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