髙木竜馬、時局に想い馳せ奏でた「展
覧会の絵」~非日常の時空間へ誘うピ
アノリサイタルレポート

2022年2月26日(土)、浜離宮朝日ホールで髙木竜馬ピアノリサイタルが開催された。「ピアノ森 コンサート」シリーズなどを経て、回を重ねるごとにさらなる実力を見せつけてくれる髙木。今回も重量級の意欲的なプログラムで期待に違わぬ躍進を見せつけてくれた。
前日までの冬の寒さから解放され、春めいた陽気と清々しい陽ざしが美しい土曜日の午後、東京・築地の浜離宮朝日ホールは満場の入り。多くの人々が会場内を行き交っていたにもかかわらず、開演前、穏やかな午後にふさわしい、ゆったりとした雰囲気が会場ホワイエに満ちていた。
本日の演奏曲目の第一曲目はショパン 24の前奏曲 作品28より 第15番「雨だれ」。お馴染みのこの曲もピアニスト髙木竜馬の手にかかると冒頭から深淵なる世界へと誘われる。髙木自身、事前のインタビューで「非日常的な時空間へと誘う “結界” にふさわしい一曲」と語っている。
冒頭のあの有名な旋律を、たおやかに一つひとつの音に想いを込めて鷹揚に歌い紡ぐ。その雄弁な歌は、優しさを湛えながらも茫漠とした未知なる世界へと聴き手を導いてゆく。破れた恋……、想い焦がれた相手への思慕は幻影となって若きショパンの苛んだのだろうか……、次第に曲調は不穏な想いへと駆られてゆく。その様を髙木は冒頭のしめやかな雨音との鮮やかなコントラストを利かせて際立たせる。深淵なる内面の心の襞を、振れ幅の大きいダイナミクスを利かせてドラマティックに深く掘り下げてゆく様は見事だ。
二曲目はドビュッシー 映像 第1集 より「水の反映」。水の音を感じさせる曲が二曲続き、心洗われる清々しい音とともに、まさに髙木が言うように “非日常的な世界” へと引き込まれてゆく。冒頭、高音部で奏でられる水面に輝く光のリフレクションの描写の美しさ。低音部と高音部の絶妙なバランス感を保ちつつ、光が水面をたゆたう情景を髙木は滔々と、そしてダイナミックに描き出してゆく。しかし、動的でスケールの大きいピアニズムも決して過剰になることなく、あくまでも内省的に光の反映を描き出し、この曲の持つ静謐さを巧みに表現していた。
第三曲目はグリーグの 民族生活の情景・ピアノのためのユモレスク 作品19より 第3番「謝肉祭」。民謡調ながら、サイケデリックにも思える個性的な旋律で始まる冒頭。メロディを情感込めて歌い上げ、この曲に描き出された背景や状況をしっかりと聴き手に浮かび上がらせる。
中間部では、謝肉祭に参加する人々が扮するそれぞれのキャラクターの印象やストーリーを語り紡ぐ面白さを、実に表情豊かに細やかに描き出す。メランコリックな色調やロマンティックな旋律が交錯する中、祭りは次第に最高潮に。活気に満ちた情景やフィナーレに向けての期待感が次第に高まってゆく様が鮮明に感じられた。最後は、祭りの参加者全員が一つになり思いの丈を“爆発”させる。華麗な弾き納めが小気味よい。
髙木によるプログラムノートを読むと、この作品は「グリーグがイタリア滞在中に謝肉祭の光景に出くわし、その模様を楽しみつつも故郷の祭りに想いを馳せたもの」とあるが、まさにイタリアの謝肉祭で見られる、長い導火線を通じて火を点け、最後は櫓(やぐら)の上で小さな鳩のかたちをした爆竹を破裂させるという華やかなラテン的祝祭ムードならではの描写を織り交ぜながらも、幼い日、グリーグ自身が体験したノルウェーの祭りの記憶やその光景を懐かしむ郷愁的な思いや切なさも見え隠れする。このように作品の持つ多彩な情感と彫(ほり)の深さを髙木は終始、見事な構成力とともに表現していた。
続いてはブラームス 3つの間奏曲 作品117。このブラームス最晩年の重厚感に満ちた作品が前半プログラム最後に置かれているのは何とも髙木らしい試みだ。事前のインタビューでも、「人生は楽しみだけではない。人には言えない悩みや苦しみがついて回るものだ、ということを僕なりに語ってみたいと思いました。“人生の中間点的な意味合い”として、この悲しみの極致のような三曲で第一部を締めくくるのもいいのではと考えました」と語っている。
第一番 変ホ長調/やさしい子守歌を思わせる旋律が湛える穏やかな心の在り様。しかし、中間部ではその想いは裏切られ、苦悩、孤独、憧憬……など様々な思いが倒錯する複雑な心の襞を、髙木は内に情熱を秘めながら多感に紡いでゆく。だからこそ、再現部での冒頭の子守歌の旋律は、すべての思いから解き放たれたかのように一条の希望の光を感じさせるものだった。
第二番 変ロ短調/揺れる動く心の綾を描き出すような下降型のアルペッジョを流れるように歌い紡ぐ。その凝縮された思いは、神秘的な悲壮感さえ漂っていた。流れるような旋律の合間に置かれた重層感、しかし透明感のある和声進行のくだりが、この冒頭の印象的なアルペッジョの音型が放つ一種の “永遠のみずみずしさ” をよりいっそう際立たせていた。
第三番 嬰ハ短調/すべての思いから解き放たれ、諦念の境地にある心の動きが弾き紡がれる。髙木は29歳の等身大が感じるままの思いに真っ向から向き合い、真摯に、しかし大きなスケール感でこの深淵なる作品集の終曲を締めくくった。
後半のプログラムは、ラヴェルの 亡き王女のためのパヴァーヌ と、ムソルグスキーの 組曲「展覧会の絵」全曲という、まるで絵画館に足を踏み入れたかのような構成になっていた。髙木は今回のプログラムの全体像を考えた時、まずムソルグスキー「展覧会の絵」全曲を締めくくりに演奏したいと考え、それを軸に逆算的に全体の構成を組んでいったという。「展覧会の絵」の前に 亡き王女のためのパヴァーヌ を持ってきたのも、「展覧会の絵」という作品がラヴェルのオーケストラ編曲によって世に知られるようになったという経緯ゆえに、「このカップリングを実現したかった」という練り上げられたストーリー性も面白い。
髙木はプログラムノートの中で、亡き王女のためのパヴァーヌ に関して、「誰しもの心の中にあるセピア色の哀愁を帯びた心象風景を寂しく、この上なく美しく描いている」と述べているが、当日の演奏も、あの冒頭の有名な旋律で、在りし日の情景を眼前に浮かび上がらせるかのような臨場感ある音を聴かせた。それは決して極彩色というものではなく、セピア色に包まれた時空間の中で、あたかも聴き手が巻き戻された時間の流れにたたずみ、典雅な想いに駆られずにはいられない、ある種の幻想的な感覚をもたらす響きを持ち合わせていた。
続いて、ムソルグスキー組曲「展覧会の絵」。ムソルグスキーは親交のあった画家ハルトマン(ヴィクトル・ハルトマン/1834~73)の死に際して、友人として何もしてやれなかったことへの自責の念を感じ、何かに憑りつかれたようにこの画家の遺した画を題材に10曲からなるピアノ組曲を生みだした。それがこの「展覧会の絵」だ。
組曲の構成は、絵画のタイトルにちなんだ曲の他にも、“プロムナード” という短い間奏曲的なくだりが挿入されており、作曲家自身が、実際にハルトマンの死後に開催された回顧展で一つひとつの作品に対峙する姿や心象が暗示されている。組曲自体、実に巧みなストーリー構成がなされているが、髙木は作曲家自身が回顧展の現場で感じた回想的心象と、ハルトマンの一点一点の絵画作品の中に描き出された様々な時代背景やキャラクターたちが織りなす縦横無尽な時空間を行き来する30分余りの曲集を密度の高い集中力と完成度で弾き切った。この複雑な構成を凌駕して、聴衆にストーリーの全容を見事に把握させてしまう、髙木の音楽的、かつ文学的な文脈解釈と説得力は見事だ。
冒頭の プロムナードI では、壮大な絵巻の始まりを告げるファンファーレを堂々とホールの空間に響かせ、続いての 第一曲/小人 グノームス では、神話の世界の小人の妖精を不気味かつコケティシュに描写する細やかな技巧が冴えわたっていた。
第二曲/古城 では、在りし日、吟遊詩人が歌う古風な歌を雄弁に再現。色彩感の鮮やかさ、強弱の振れ幅の大きさもさることながらフレージングの巧みさが際立ち、吟遊詩人たちの息遣いすら感じさせるほどだった。
そして、第四曲/ビドロ。“ビドロ” とは労役に使う牛のことだ。重い牛車を押す農民の姿が、全編にわたって厚みのある音で描写されてゆく。髙木いわく、「原典版のピアノ版では冒頭から激しいフォルティシモで始まり、描き手と被写体の間には距離感が見られない」とのことだが、髙木の巧みな強弱感の表出により遠近感が見事に感じられるものになっていた。
プログラノートによると、“ビドロ” という言葉には “家畜のように虐げられた人々” という意味もあると言い、近年では「当時のロシアの圧政に苦しむポーランド民族の苦悩が表されている」という解釈もあるそうだ。その文脈から読み取ると、この曲は「圧政者に立ち向かい毅然と死刑台へと向かうポーランドの英雄」を描いたハルトマンのある絵画作品を念頭に描かれたとも解釈できるようで、実際に死出の旅路に向かう英雄の悲壮感あふれる姿がドラマティックに表出されていたようにも感じられる。髙木の “傍観者” ともいえるような、ありのままの情景を訥々と伝える迫力に、まさにウクライナのキエフでロシアとの市街戦が始まったこの日、感慨深い想いに駆られた聴き手も多かったことだろう。
金持ちと貧しい二人のユダヤ人像を巧みに描写した第六曲/サミュエル・ゴールドベルクとシュムイレ。髙木の大らかなピアニズム全開の プロムナードV を挟んで、第七曲/リモージュの市場 では、市場での女性たちのおしゃべりの情景をコミカルに風刺的ともいえる手法で華麗に表現した。
第八曲/カタコンベ・ローマ時代の墓 ではカタコンベの中に積み上げられた頭蓋骨の情景に衝撃を受けたムソルグスキーの姿が描き出されている。髙木は霊魂に導かれて恍惚とする作曲者の姿をグロテスクに不気味さ漂う迫力で表現していた。そして、そのムソルグスキーの想いは、次第に友人の死を受け入れ、聖なる光の感情へと変化してゆく(「死者とともに、死者の言葉で」)。その心のあり様を髙木は凄まじい集中力で聴かせた。
いよいよ、30分にわたる組曲もフィナーレへと向かう。第九曲/鶏の足の上に建つ小屋・バーバ・ヤガー では、冒頭からロシア神話の伝説の年老いた魔女が猛スピードで駆け巡る様を描いた激しいモチーフから始まる。小刻みに動き廻る妖怪のおどろおどろしい姿が目の前に浮かび上がるようで、聴き手もゾッとさせられるような巧みな “音使い” に圧倒される。
そして、カタルシス的な最終曲 第十曲/キエフの大門。組曲を締めくくるにふさわしい壮大なモチーフはロシア正教会の鐘の荘厳な響きだ。この聖なる音に称えられ、ハルトマンの魂は昇天する。と、同時にムソルグスキーとハルトマンという二人の偉大な芸術家の理念がここで一つの昇華を迎える。髙木はこのいと高き二人の芸術家の志を力強く天に仰ぐように高らかに歌い上げた。しかし、奇しくも、ロシアがキエフ市内に侵攻し、市民を巻き込んだ戦闘が展開されるその日、この曲を多くの聴衆は複雑な想いで受け止めたことだろう。
終曲を弾き終え、満場の拍手に迎えられる髙木。幾度となく丁寧なお辞儀で応えると、マイクを持って客席に挨拶。
「今回のプログラムについては、いろいろな思いがあったのですが、一つには、なかなか海外に行けない中で、皆さまに様々な国々や時代を旅して頂けたらという思いも込めています。
そして、今日、「展覧会の絵」を演奏しながら、ウクライナの情勢に想いを馳せずにはいられませんでした。いつもよりもさらに特別な思いを込めて演奏しました。次にこの作品を演奏する時は穏やかな心で演奏できるように祈っています」と髙木自身、刻々と変わる彼の地の情勢に万感の思いを抱きながら演奏していたことを明かした。
そして、鳴りやまぬ拍手に応え、シューマンのトロイメライを清々しく演奏。その後も、鳴りやまぬ拍手に応え、グリーグの抒情小曲集より「夏の夕べ」でこの日の密度の濃いプログラムを爽やかに締めくくった。
取材・文=朝岡久美子 撮影=荒川潤

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