【観劇レビュー】劇団四季『ノートル
ダムの鐘』~人間と怪物、どこに違い
があるのだろう~

ミュージカルは演劇だーー。
そんな当たり前のことを突き付けられる時間だった。
KAAT 神奈川芸術劇場<ホール>にて上演中の劇団四季ミュージカル『ノートルダムの鐘』。4年ぶりに首都圏で上演される本作は圧倒的な力をもって「人間とはなにか」と私たちに問いかけてきた。幕のない舞台奥からクワイヤの荘厳な合唱とともに顔の見えない者たちが現れ、鐘が鳴らされた瞬間から、観客の心は15世紀末のパリ・ノートルダムの大聖堂へと飛ばされる。
2016年、旧・四季劇場[秋]での初演からこの作品に触れてきて、これは劇団四季が上演すべき作品だと今回あらためて感じた。その1番の理由はアンサンブルの存在の大きさである。なお、ここから先は作品の内容に深く触れているので、特に未観劇の方はその点ご留意いただきたい。
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ミュージカル『ノートルダムの鐘』では男性12名、女性4名のアンサンブルがカジモド、フロロー、エスメラルダ、フィーバス、クロパン以外のすべての役、人や人でないものまで演じ、コロスとして状況を語る。いち俳優としての”個”を消しながら、瞬時にさまざまな役を担い、かつ作品世界で不協和音を生み出さず存在できる俳優の層がこれだけ厚いのは、四季が長らく掲げてきた「作品主義」のひとつの成果であろうし、彼らの存在がこの作品を”演劇”として成立させうる大きな要素となっているのは間違いない。
劇団四季『ノートルダムの鐘』(撮影:阿部章仁)
ここであらためて考えてみたい。なぜ私たちは『ノートルダムの鐘』に強く惹かれるのか。
もちろん、アラン・メンケンが紡ぐ音楽は素晴らしく胸に迫るし、映像などに頼らず、人の力に特化したスコット・シュワルツの演出は逆に新鮮だ。計算し尽くされたシンプルな照明も、より効果的に登場人物たちを浮かび上がらせる。
だがやはり、この作品の最大の魅力は「人間」の光と闇とがこれ以上はないくらい、シビアに描かれている点だと思う。
その筆頭がノートルダム寺院の大助祭・フロロー。真面目に神の道に生きる自分とは異なり、自由奔放に遊ぶ弟にどこか憧れ、その弟が連れてきたジプシーの女性に隠していた自らの性的な欲望を見抜かれる。彼にとって、弟の忘れ形見であるカジモドは己を映す鏡だ。一度は床に叩きつけようとした醜いその子を育てることで、フロローは宗教者として光の道を歩む自分を保ち、カジモドを支配することで人生の選択が間違っていなかったと安堵する……じつは自己肯定感が低く、地位の高さと他者からの評価でしか自己を受容できない弱い人間。なぜフロローは自らを愛せなくなってしまったのだろう。人々に希望を与える宗教家が自分の心にだけは光をあてられず、エスメラルダに「私を愛してくれ」と素をさらけ出すさまはとても哀しくリアルだ。
3人の男性から強い想いを寄せられるジプシーの踊り子、エスメラルダ。彼女もまた光と闇とを宿した人物である。道化の祭りで民衆の慰み者にされるカジモドを助け、大聖堂で神と対話し、鐘突き堂でカジモドと美しく清廉な時間を過ごしたあとに彼女は夜の街で踊る。清らかな少女のような笑顔と、生きるためには泥水すら飲んできた地を這う人間の凄みが1人の人間に混在している。
では、この物語の主人公、カジモドはどうか。
本作『ノートルダムの鐘』におけるカジモドは、ただ純粋ピュアで天使のような存在ではなく、心の奥に闇を宿すキャラクターである。自身の見た目の醜さを自覚し、陰の存在として生きようとしていた青年が、エスメラルダやフィーバスとの出会いでそれまで得たことのなかった己の感情と出会い、さらに心の奥底にあった闇の扉をも開いていく。彼がご主人様と呼んできたフロローに対し最後に取った行動は正義感からだけではないだろう。

劇団四季『ノートルダムの鐘』
光と闇。この物語は人間が持つふたつの顔を神の視点とともに浮かび上がらせるのだが、ここで思い出してほしいのが、冒頭と終盤で歌われる「人間と怪物、どこに違いがあるのだろう」との歌詞だ。これは一見、人間と怪物(この場合はカジモド)の外見を指し、分けているようにも聞こえるが、じつは人の内面を示している。

つまり、人間と怪物が(その外見により)別個に存在しているのではなく、ひとりの内面に人間と怪物とが混在しているという意味だ。だからこそ、冒頭では俳優がそのままの状態で登場し、舞台上で顔に色を塗り、背中に曲がった背骨の餡(あん)を入れて”カジモド”になり、終盤ではカジモドを演じた俳優が元の状態に戻って、カジモド役以外の俳優たちが”怪物”の姿になる。人間と怪物は異なるふたつの存在でなく、ひとりの中にその両方が宿っているということだ。

劇団四季『ノートルダムの鐘』(撮影:阿部章仁)
この作品で私が特に心打たれるのは、カジモドとエスメラルダが鐘楼の手すりに乗って歌う「世界の頂上での場面である。フロロー以外と交流できず醜い姿で孤独に生きてきたカジモドと、人々に虐げられ、定住すらできないジプシーのエスメラルダが神に最も近い”サンクチュアリ”でパリの街を見下ろす。ここでカジモドが初めて語るフロロー以外の人の名前「エスメラルダ」がなんと美しく尊く響くことか。

私たちの誰もが心に宿す「光」と「闇」。その両方をアラン・メンケンのドラマティックな音楽とスコット・シュワルツのソリッドな演出で15世紀末のパリの街に映し出す『ノートルダムの鐘』。作品の力と俳優の技術、熱量とが最高の融合を起こし、観る者の心を突きさしてくる傑作である。
最後にもう1度書かせてほしい。
ミュージカルは演劇だーー。
取材・文=上村由紀子(演劇ライター)

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